池上彰氏の本「先送りできない日本 ~“第二の焼け跡”からの再出発~」を読了。日本が抱える諸問題が実に判り易く説明されており、特に経済関係の知識が乏しい自分には勉強になる内容だった。
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ところで、ちょっとひっかかるのが、こんにゃく芋にかけられた1,706%という超高関税率です。コメの2倍以上の数字です。なぜこれほど突出して高いのでしょうか?コメや乳製品など土地利用型の農業は、広大な農地を持つアメリカやオーストラリアに価格で対抗するのが難しいのは理解できます。しかし、こんにゃく芋は、それほどの関税を設定しなければならない産品なのでしょうか。
実はこんにゃく芋の生産地は群馬県。ここは福田赳夫、中曽根康弘、小渕恵三、福田康夫という4人の総理大臣を輩出している、日本一総理大臣になった人の多い県なのです。手厚い農業保護の最大の理由は、「農村票」ということがわかります。しかも、首相になるような人物たちでも、自分の選挙区事情で農政を左右していることが見て取れます。
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我が国の農産物の平均関税率は12%で、米は778%となっている。仮に輸入米の“原価”が1,000円とするならば、7.78倍分の7,780円が関税として課せられ、原価の1,000円にプラスして計8,780円という“輸入価格”になってしまう訳だ。「日本の農家を守る為」という大義名分が在るにせよ、此の超高関税率は物凄い。
そしてこんにゃく芋の関税率が異常に高いのも以前より知っており、「何でこんにゃく芋が、こんなに高い関税率を課せられているのだろうなあ?」と不思議には思っていたけれど、深くは考えていなかった。「こんにゃく芋の生産地→群馬県→首相を日本一輩出している県→農村票獲得の為には特産品を死守→こんにゃく芋への超高関税率」という“裏事情”には、「成る程なあ。」と納得出来た。
政権交代を果たせたのも、民主党が農村票に擦り寄った事が大きく影響していと思う。農業が大事な産業なのは確かだが、与野党共に己が選挙事情を最優先させ、場当たり的な農政をして来た事実は、本当に許し難い事。守るべき物は守り、淘汰されるべき物は淘汰させる。時流に全く合わないスタイルを頑なに死守する事“だけ”が目的の様な人々や、好い加減な姿勢で不条理な利益を得ている様な人々は、どんな組織で在れ、淘汰されて当然だろう。
「第5章 ものづくり大国日本、新ステージへ」という章は、特に読み応えが在った。我が国の携帯電話は、「ガラパゴス携帯」と呼ばれている。非常に使い易く、多機能な携帯電話では在るのだけれど、独自の通信方式に固執した為、海外市場では通用しなかった。6大陸からは隔絶された位置に在る事から、余所からの影響を受けずに、生物達が独自の進化を遂げて来た「ガラパゴス諸島」に因み、「或る市場の中で生まれた商品が独特の進化を遂げ、何時の間にか“世界標準”からは掛け離れてしまう現象。」を「ガラパゴス化」と称するけれど、独自のスタイルに固執する余りに世界標準に乗り切れなかった我が国の携帯を「ガラパゴス携帯」と呼ぶのは、言い得て妙かもしれない。
ガラパゴス化が少なからず見受けられる我が国の商品。「過度に高品質を求め過ぎる余り、ユーザーのニーズを無視した、独り善がりな商品が増えてしまったのではないか?」というのが其の理由の様に感じていたが、池上氏は「日本の問題は、技術力の相対的な低下でも、その逆のオーバースペックでもなく、それを世界規格とするためのマーケティング能力の不足なのではないか。」と指摘。
「インド向けに絹のサリーが洗える洗濯機。」、「中近東向けに『コーラン』が表示出来るプラズマテレビ。」、「治安の悪い地域に、施錠が出来る冷蔵庫。」、「街灯が無いアフリカには、懐中電灯のライトが付いた携帯電話。」等々、海外で大躍進している韓国家電には、同国の綿密なマーケティング調査が反映されているというのは、唯唸るしか無かった。
「MADE IN JAPANの商品」に対する高い評価を過信し、「マーケティング調査を疎かにしてしまった。」のか?又は「きちんとしたマーケティング調査を行っている積りでも、其の分析等が偏った物になっていた。」のか?原因は各企業によって異なる所だろうけれど、日本の企業のマーケティング調査自体に、何等かの問題点が在ったのは確かなのかも。
日本の未来に暗さを感じてしまう内容許りでは無く、「日本の良き点を利用して、明るい未来を切り開くヒント。」が記されているのは心強い。世界に広く受け容れられる“商品”の例として「ランドクルーザー」及び「カラシニコフ」が紹介されているのだが、此の話を知れただけでも、個人的には「読んだ価値が在った。」と思える本。
幼き頃は誰しも「どうして?」とか「何で?」と“純粋に不思議がる心”を持っていた筈なのに、年を経る毎にそういった事を口にしなくなってしまう。「こんな事を聞いたら、相手から馬鹿にされるだろうな。」とか「今更こんな事を聞けない。」というプライドが邪魔してのケースが殆どと言えましょうが、誰かに聞かないなら聞かないで、独自に調べ上げれば良いのだけれど、段々調べる事すらも億劫にってしまう。本当にいけない兆候です。
池上氏の「凄いなあ。」と思う点は、常に「不思議がる心」を持っているという点。他者から指摘されたら「そう言われてみれば、不思議な事だなあ。」と思う事でも、言われないと「不思議な事に気付かない。」儘で居るもの。何に関しても不思議がる心を忘れず、疑問を持ったら直ぐに調べる。不思議に思った事“だけ”では無く、其処から派生した更なる疑問も調べ上げて行く事で、池上氏はあんなにも解説が上手いのでしょうね。
「全てに於いて断言口調で話す人を信じては駄目。」、「何処迄が事実で、何処からが其の人の私見なのかを見極めなければいけない。」等、改めて「留意しなければ。」と思う事が多かったです。