一昨日、或る著名人の死が報じられた。インターネット上でその記事を目にした時、一瞬「加藤晴彦氏が何で!?」と思ったのだが、良く良く名前を確認すると歌手で在り、音楽プロデューサーでも在る加藤和彦氏と判り、改めて驚きが。その柔和な表情からは「死」、それも「自殺」に縁遠さを感じたので。
加藤氏と言えば、最初に思い浮かぶのはザ・フォーク・クルセダーズの「帰って来たヨッパライ」(曲)。ユーモラスな詞も然る事乍ら、加藤氏の手掛けた曲、それもテープを高速回転させた事による素っ頓狂な甲高さが何とも印象的な名(迷?)曲だった。又、その後に発表された「あの素晴しい愛をもう一度」(動画)や「ドゥー・ユー・リメンバー・ミー」(動画)、「妖精の詩」(動画)等も忘れ難い。
ファミリー劇場では現在、1982年から1993年に掛けて放送されたドラマ「Gメン’82」がHDリマスター版として再放送されている。17日放送分は、第2話「アイドル歌手トリック殺人事件」だった。何しろ四半世紀以上前の作品故、出演者の中にも丹波哲郎氏や范文雀さんといった物故者も居られる。味わい深いナレーションだった芥川隆行氏も鬼籍に入られて、もう19年という年月が過ぎ去ってしまった。
存命でも、その後の人生に波乱万丈さを感じてしまう方も居られる。沢田刑事役の清水健太郎氏のその後に関しては知る人ぞ知る話なので敢えては記さないが、学習能力も無く何度も罪を重ね、その度に芸能界に復帰して来た事には芸能界の甘さを感じるも、「この世界でしか、自分は生きられない。」と固執する生き方も、それはそれで当人の考え方だと思う。
そしてこの第2話にゲストとして登場していた倉田まり子さんも、波乱万丈な生き方を経て来た一人と言える。アイドル歌手として脚光を浴びていた彼女だったが、所謂「投資ジャーナル事件」でその渦中に居た人物との男女の仲が噂された事で、芸能界からの引退を余儀無くされてしまったのだ。
そのままでは数多の「あの人は今」的なアイドルの一人となっていたろうけれど、彼女の場合はその後、国際法律事務所の弁護士秘書や資格試験予備校の執行役員等を経て、今は「坪田まり子」名でキャリア・カウンセラーとして独立起業されているのだから大したもの。自分の意思で芸能界を辞めたのでは無いにせよ、新たなる世界での生き方を自身で開拓していった努力には、敬服の思いしかない。
話を加藤氏に戻すが、彼はその遺書に「音楽活動での行き詰まり」を記していたと言う。個々人の“心の闇”がどれ程深いかは当事者しか判らないし、鬱病を罹患していたとされる彼には「死ぬ事の他に、何も考えられない。」という思いが在ったのかもしれない。それを判った上で敢えて言わせて貰うならば、「それでもやはり生き抜いて欲しかった。」と。
類い無き音楽的才能を有した彼が其処迄追い込まれたのだから、音楽活動に新たな展開を見出すのは限界だったかもしれない。でも、倉田さんではないけれど他の生き方を模索する道も在ったのではないだろうか。「音楽の世界だけで生きて来た、それも62歳という年齢の人間に『新たな道を捜せ。』というのは酷な話。」とする人も居られるだろうが、自分は必ずしも酷とは思わない。政治評論家の竹村健一氏は57歳でスキーを、そして58歳でスクーバダイビングを始めたというし、「物事を新たに始める上で、絶対的に遅過ぎる。」という事はそんなに無いものだから。「その死によってどれだけの人が哀しむか?」にも思いを馳せて欲しかったし、何よりも「生きたくても生きられない人が居るのに、自ら命を絶つというのは残念でならない。」という思いが強い。
加藤氏の御霊に合掌。
加藤氏と言えば、最初に思い浮かぶのはザ・フォーク・クルセダーズの「帰って来たヨッパライ」(曲)。ユーモラスな詞も然る事乍ら、加藤氏の手掛けた曲、それもテープを高速回転させた事による素っ頓狂な甲高さが何とも印象的な名(迷?)曲だった。又、その後に発表された「あの素晴しい愛をもう一度」(動画)や「ドゥー・ユー・リメンバー・ミー」(動画)、「妖精の詩」(動画)等も忘れ難い。
ファミリー劇場では現在、1982年から1993年に掛けて放送されたドラマ「Gメン’82」がHDリマスター版として再放送されている。17日放送分は、第2話「アイドル歌手トリック殺人事件」だった。何しろ四半世紀以上前の作品故、出演者の中にも丹波哲郎氏や范文雀さんといった物故者も居られる。味わい深いナレーションだった芥川隆行氏も鬼籍に入られて、もう19年という年月が過ぎ去ってしまった。
存命でも、その後の人生に波乱万丈さを感じてしまう方も居られる。沢田刑事役の清水健太郎氏のその後に関しては知る人ぞ知る話なので敢えては記さないが、学習能力も無く何度も罪を重ね、その度に芸能界に復帰して来た事には芸能界の甘さを感じるも、「この世界でしか、自分は生きられない。」と固執する生き方も、それはそれで当人の考え方だと思う。
そしてこの第2話にゲストとして登場していた倉田まり子さんも、波乱万丈な生き方を経て来た一人と言える。アイドル歌手として脚光を浴びていた彼女だったが、所謂「投資ジャーナル事件」でその渦中に居た人物との男女の仲が噂された事で、芸能界からの引退を余儀無くされてしまったのだ。
そのままでは数多の「あの人は今」的なアイドルの一人となっていたろうけれど、彼女の場合はその後、国際法律事務所の弁護士秘書や資格試験予備校の執行役員等を経て、今は「坪田まり子」名でキャリア・カウンセラーとして独立起業されているのだから大したもの。自分の意思で芸能界を辞めたのでは無いにせよ、新たなる世界での生き方を自身で開拓していった努力には、敬服の思いしかない。
話を加藤氏に戻すが、彼はその遺書に「音楽活動での行き詰まり」を記していたと言う。個々人の“心の闇”がどれ程深いかは当事者しか判らないし、鬱病を罹患していたとされる彼には「死ぬ事の他に、何も考えられない。」という思いが在ったのかもしれない。それを判った上で敢えて言わせて貰うならば、「それでもやはり生き抜いて欲しかった。」と。
類い無き音楽的才能を有した彼が其処迄追い込まれたのだから、音楽活動に新たな展開を見出すのは限界だったかもしれない。でも、倉田さんではないけれど他の生き方を模索する道も在ったのではないだろうか。「音楽の世界だけで生きて来た、それも62歳という年齢の人間に『新たな道を捜せ。』というのは酷な話。」とする人も居られるだろうが、自分は必ずしも酷とは思わない。政治評論家の竹村健一氏は57歳でスキーを、そして58歳でスクーバダイビングを始めたというし、「物事を新たに始める上で、絶対的に遅過ぎる。」という事はそんなに無いものだから。「その死によってどれだけの人が哀しむか?」にも思いを馳せて欲しかったし、何よりも「生きたくても生きられない人が居るのに、自ら命を絶つというのは残念でならない。」という思いが強い。
加藤氏の御霊に合掌。
鬱病に罹患されている方は、結構居られる様ですね。パッと見からは鬱病と無縁そうに感じた小川宏氏もこの病に罹患し、一時は自殺する寸前迄行ったという話をされていましたが、実際に患われているとかなり大変なのだろうなと思いました。
現在、CSでドラマ「黄金の日々」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E9%87%91%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%97%A5)の再放送がされています。当時は気付かなかったのですが、ベニグノ・アキノ氏の御嬢さん、即ち先だって亡くなられたコラソン・アキノさんの御嬢さんでも在る訳ですが、彼女が(ルソン島の)アゴー村村長の娘役を演じていた事を知ってびっくりしました。
志村喬氏や宇野重吉氏、丹波哲郎氏等、今は亡き名優達の姿が見られるのも懐かしい限りなのですが、このドラマによって一躍人気者となった市川染五郎氏(現在の松本幸四郎氏)や川谷拓三氏、そして根津甚八氏の演技もGood。良い役者でしたが、闘病の為役者活動を休止されているのは本当に残念。一寸前に近影を拝見しましたが、やや雰囲気が変わっておられました。
「勿論例外も在りましょうが」という前置きで私見を書かせて貰うと、自殺に踏み切ってしまう人ってそれだけ良くも悪くも「純粋過ぎた」んじゃないかという気がします。純粋だからこそ、思い詰めてしまう。人によっては「純粋では無く、弱いだけではないか?」とする人も居りましょうけれど、自分としては「純粋過ぎた」と思って上げたい気が。
心身共に相当強靭な人は別にして、人間というのは弱い部分を持っている。ふっとしたきっかけで、心に「死の誘惑」が入り込んでしまう事は否定しないけれど、それでも何とか生き抜いて欲しいと思うんです。「今」よりも「更に辛い未来」が待っているかもしれないけれど、逆に「今」よりも「遥かに楽しい未来」が待っているかもしれない。「ソ連崩壊」や「東西ドイツの合併」を殆どの人が予想出来なかった様に、この世界は先に何が起こるか完全に見通すのは無理な訳で、それだったら「遥かに楽しい未来が待っている筈。」と自分は自分自身を鼓舞したい。
伊坂幸太郎のラッシュライフにプラナリアの実験についてのエピソードがあります。 水がなくては生きられない軟体動物のプラナリアが水のある方に向かって移動する時、ライトで水の方を照らします。 これを何度も繰り返すと学習して、水がなくてもライトの方向に移動するようになります。 しかし、ある時、移動をやめて死にます。 これは同じことの繰り返しに飽きて自殺したのではないかと解釈できるのだそうです。 なぜなら、状況を変えたり、容器の材質を変えると、また移動を始めるからだそうです。 プラナリアのような原始的な生物でも毎日毎日同じことの繰り返しより死を選ぶというのが、なんだかあてはまるようにも思えてなりません。 自殺するのはヒトに限ったことではないのですね。 なにを言いたいのかがわからなくなってしまいました。
加藤氏と同年齢のビートたけし氏が昨夜放送された生番組の中で、「ふっとした瞬間に『これからどうすれば良いんだろう?』と、気持ちが“空白地帯”に陥る事は在る。おいらの場合は映画っていう別の道が在ったから、良かったのかもしれないけど。」といった趣旨の発言をされていました。自分の場合、彼等の年齢には未だ年月が在るので今一つ実感とした湧かないのですが、その年代にならないと判らない部分は在るのでしょうね。
加藤氏の場合、親の介護に加えて御自身が鬱病を罹患されていたという事で、傍目からは判らない苦しさも当然在ったとは思うのですが、それでも何とか生き抜いて欲しかった。本当に残念です。
親の介護や自分の持病など一見外的な要因が大きいように見えますが
古の人々はそれを「厄年」と表現して警鐘を鳴らしているとおりがみは思います。
加藤和彦さんは自殺と縁遠いと。
それにしても50~60歳は鬼門ですね。x±x
大原麗子さんも同じ年だったし。
ご冥福をお祈りします。v±v