「禍福は糾える縄の如し」という成句が在る。「幸福と不幸は表裏一体で、代わる代わるに来るもの。」という意味だが、「昔の人は、上手い事を言ったものだ。」と熟思う。我が身を振り返っても、良い事が在れば、其の後には(良い事が帳消しされるレヴェルの)悪い事が起こっている。「良い事が少なく無かった1年」が在れば、其の翌年という事では必ずしも無いにせよ、後に「悪い事が多かった1年」というのが遣って来る。
gooブログで40型の液晶TVが当選する等、比較的良い事が続いた2008年。しかし、其の翌年の2009年は、空き巣に入られる等、悪い事が続いた。東日本大震災や長年飼っていた愛犬の死等、悪い事許りが続いた2011年だが、其の翌年の2012年は宝籤で100万円を引き当てる等、良い事が少なく無かったのだから、「天の差配なのかなあ。」と感じたりも。
今年の2月、除雪作業中に顔面に怪我を負った事を記したが、先月、近場のスーパーの駐車場に車を停めていた際、当て逃げされてしまった。買い物時間は10数分で、戻って来たら、バンパーが半端無く凹まされているではないか。ぶつけたと思われる車は既に無く、周りを見回しても監視カメラらしき物は皆無。“犯人”を見付け出せる可能性が零に等しいのは頭で理解しているも、「許せん!!!」という思いが募り、警察に連絡。
警察が到着し、型通りの事情聴取が行われた。矢張り、監視カメラは皆無との事。掛けている任意保険では車両保険を付けておらず(今迄に当て逃げなんかされた事は無く、又、こんな襤褸車に付ける必要も感じなかったので。)、結局、修理代金約10万円は自腹を切る事に。自分に少しでも落ち度が在れば「致し方無い。」とも思え様が、理不尽な出費に憤りが。
商業施設内の駐車場でぶつけられたのは、実は初めてでは無い。今から10年近くになるが、巨大商業施設の駐車場に車を停め、買い物等で3時間程経ってから戻った所、バンパーが凹んでいた。ワイパーに紙切れが挟んで在ったので、引き抜いてみると、ぶつけた人物が記した物だった。ぶつけた事への謝罪の言葉の後に、「連絡が取れなかったので、近くのXX警察署で待機します。御足労を掛けて、申し訳在りません。」と在り、当人の名前や住所、電話番号等も書かれていた。
其の方は40代と思しき女性で、XX警察署で2時間近くも待っていた様だ。心底申し訳無く思っておられ、真摯な対応だった。監視カメラが在ったのかもしれないが、当て逃げし様と思えば出来ただろうに・・・こういうきちんとした方も居られるのだ。今回の件で改めて、「彼の方は、極めて真面だったのだなあ。」と感じ入った次第。
「もう少し早く(乃至は遅く)駐車場に停めていたら、こんな目に遭わなくても済んだのに・・・。」と詮無い繰り言が口から出てしまったものの、能々考えれば、2年前に100万円を引き当てた宝籤も、「もう少し早く(乃至は遅く)買っていたら、引き当てられなかった。」訳で、「禍福は糾える縄の如し」と割り切る事に。
マヌケ様も、同様の目に遭われていたのですね。仰る様に、正直に生きている者が少なくない一方、少なからずの悪質な人間も居る。そんな連中の為に、性善説を放棄してしまう人も居るのでしょうから、色んな意味で“犯罪者”には憤りを覚えます。
4年前、空き巣に入られる前迄は「こんな襤褸家を狙う空き巣なんて居る訳が無い。」と思っていましたし、世の中の空き巣の多さを意識した事も在りませんでしたが、いざ自分が被害者の側になると、「こんな家でも入られるんだなあ。」とか「こんなにも空き巣被害って多いんだなあ。」と痛感させられました。
今回、初めて当て逃げに遭った訳ですが、其れ迄は自分が被害者の側になるなんて考えてもいなかったし、被害後にネットで「当て逃げ」に関する情報を集めた結果、思っていた以上に被害が多い事に驚かされました。中には「短期間に2度も遭い、共に泣き寝入りするしかなかった。」なんていう気の毒な方も居られ、「そういう方に比べれば、自分が未だ増しな方なのだなあ。」と自分を慰めてもおります。
「人生は結局ゼロサム。」、そう思いますね。マイナス思考や恨みを引き摺っていても、結局は我が身を心身共に腐らせるだけですし、「良い人生勉強をした。」と、今は捉えています。
勉強と言えば、今回の件で学んだのは、「当て逃げに遭う可能性を減じる方法(死角に入る場所を避ける等。)」や「車載カメラ」に付いて。最近はトラブル防止の意味合いから、車載カメラを購入&設置する人が増えているという話は聞き及んでいましたが、改めて車載カメラの詳細を調べ、知識にする事が出来ました。