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「山里亮太 過去の破天荒エピソードを『良い思い出話』の様に話す人々に苦言」(8月17日、トピックニュース)
16日深夜放送のラジオ番組「山里亮太の不毛な議論」(TBSラジオ)で、御笑いコンビ・南海キャンディーズの山里亮太が、過去の破天荒エピソードを「昔の良い思い出」として話してしまう人々に苦言を呈した。
番組ではリスナーから届いた「ヤンキー」に纏わるメールを切っ掛けに、山里が「ヤンキー」に付いて語っていた。
中でも、山里は「昔はヤンチャだったからね。」、「悪さしてたけど、其れは昔ですよ。」と話す人が居る事を例に挙げ、「スゲェ良い思い出みたいな空気を出すけどさ・・・。」、「被害者サイドから言うと、結構人生変わっちゃった人も居るんじゃないかな?」と苦言を呈したのだ。
更に山里は「良く悪い人とかテレヴィで『昔無茶してて。』とか言う人達は1回さ、被害者で人生変わっちゃった人のコメントも受けて欲しいよね。」とチクリ。
「遣られた人って、結構人生変わっちゃってない?」、「学校行けなくなっちゃった人とか居るヴァージョンの、其のコメントを受けるシーンも欲しいなって、何時も思う。」と被害者側の声や、其の後の人生に付いて聞いてみるべきだと主張。
山里は、被害者側のコメントを直接、加害者側にぶつける様子を「見てみたいんだよね1回。」、「1度で良いから、見てみたい。」と熱望。そんな山里自身も、嘗て授業に集中出来ない程恐い人が居た事を振り返りつつ、「其れを肯定されちゃうとって思う。」と、異論を唱えていた。
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12年前、某テレヴィ番組で1人の女性タレントが、過去に自身が万引きを繰り返し、結果として其の店が潰れてしまった事を“楽しそうに”話していたのを見て、非常に不愉快になった。余程の人間で無い限り、「過去に悪い事をした事が全く無い。」なんて人は居ないと思うし、其れは自分も例外では無い。大なり小なり悪い事をしてしまうのが人間の弱さだと思うけれど、其の悪事を反省するこ事が無い許りか、公の場で誇らしげに語るというのは、醜悪以外の何物でも無い。
「昔はこんな悪い事しててさあ。」という発言に対し、「えー、凄いですねえ。」と賛美するかの様な阿りの言葉を返す。過去の愚行を誇らしげに語る奴も馬鹿なら、其の発言に対して阿って賛美する様な奴も馬鹿だ。
そんな思いが在るので、今回の山里氏の発言には全く同感。過去の愚行を公の場で誇らしげに語るのは、もう見たくないのだけれど、我が国のヤンキー化を後押しする様な人が増えている現実に在っては、そういう馬鹿な発言を歓迎する者も結構居るのかもしれない。
私が、昔、前の会社で、社員旅行の幹事をやらされた時も、さんざん、悪いこと自慢を聞かされました。
http://blog.goo.ne.jp/totuzen703/e/a6f4266065d78329efa2a5d7c5391fd4
過去の愚行を誇らしげに語る人って、「自分はこんな悪い事をして来た程、真面目な人間じゃ無いんですよ。」という”親しみ易さ”をアピールしたい気持ちも在るのでしょうが、一番は“「自分を大きく見せたい。」という気持ちが一番の様な気がします。蛙が体を膨らまし、相手を威嚇する様な感じかと。子供ならいざ知らず、良い年をした大人が公の場でするというのは醜悪で在り、間抜けな行為としか思えません。
清濁ともに包容できる大人になるための過程。
と捉えている節があります。
実は本人が自己陶酔しているほど大人物でもないんですけどね。
マスコミも面白いから煽る風潮がありそうですが。
「女遊びは、芸の肥やし。」というのが、昔の芸能界では良く言われました。個人的に「男女間の問題は、当事者間で解決すれば良い話で在り、第三者がああだこうだ言う事では無い。」と思っておりますけれど、「過去の愚行を、公の場で誇る。」というのは、非常に不快に感じています。悠々遊様が書かれている様に、「そういう事をして来た人間=人として幅が在る。」という捉え方をしている人が多いのかもしれないし、又、マスメディアも面白おかしく取り上げるのは、本当におかしい。
つまり、タレントが如何に卑小な存在であるか、ではなく、悪い事をして来ていても、メディアで勝ち組に居る事が免罪符のようになっている。これは、苛めの構図と同じで、強いヤンキーを誇張する事でもあるのでしょう。周囲に力を誇張しておらねば、存在意義が保てないという事で。
しかし、国民はそこまで馬鹿なのでしょうか。悪い事をしながら、勝ち組で居る事に対しては、一定の共感すらしてしまうと思います。大人になってからのカミングアウトも、時効を意識しての事でしょうが、大人に向けられたメッセージだと思います。これを聞いた子供が全て真似する、という事でもないでしょう。飛んだ夏休みの宿題ですね。
「タレントとして成功している自分と、過去とを分けたい。」というのは、面白い着眼点ですね。そういう自己満足的な部分が在るのかもしれません。でも、そういうスタンスって“大人に成り切れないピーターパン”みたいな感じもしてしまいます。元暴走族のヘッドを務め、今は役者として場数を踏んで来た某氏の場合、昔の話をするのを嫌がるし、周りから聞かれてどうしても話さなければならない際には、「あんな悪い事をして来て、本当に申し訳無かった。」という“心の声”が聞えて来る感じで、そういうのには不快感を覚えないんですけどね。