9年前の記事「助かったものの・・・」の中で触れた様に、脳裏に焼き付いて忘れられないニュース映像が結構在る。「日本航空123便墜落事故」や「三菱銀行人質事件」、「深川通り魔殺人事件」、「ホテルニュージャパン火災」、「豊田商事会長刺殺事件」、「村井秀夫刺殺事件」、「阪神・淡路大震災」、「東日本大震災」等がそうだ。
「深川通り魔殺人事件」が発生したのは「1981年6月17日」、即ち40年前の昨日。過ぎ去った年月の長さに驚かされる。そして、36年前の今日、即ち「1985年6月18日」に発生したのが「豊田商事会長刺殺事件」。TV各局が生中継する中、「公衆の面前で殺人が行われる。」という非常に衝撃的な事件だった。
「1980年代前半、金の地金を用いた悪徳商法にて、豊田商事が高齢者を中心に全国で数万人を被害に遭わせた。」のが、「豊田商事事件」で在る。被害総額は「2千億円近く。」で、当時、「詐欺事件としては、最大の被害額。」とも言われた。強引な勧誘によって契約させられた挙句、老後の蓄えを失った被害者の中には、自殺する者も現れ、大きな社会問題として、連日の様に報道されていた。
「豊田商事会長・永野一男氏が、今日逮捕されるのでは?」という情報が流れ、多くのマスコミ関係者が、永野会長の住む大阪府大阪市北区天神橋の自宅マンション玄関前に押し寄せたのは、1985年6月18日の事。そして、時刻は16時半過ぎ、2人の男が玄関前に現れる。詐欺被害者の元上司と称する2人で、「関西弁にて一方的に捲し立てるIと、無言を貫き通すYの姿。」がとても印象的だった。
玄関前のガードマンに対し、Iは「永野に会わせろ!」と要求。連絡を取る為、ガードマンが階下に下りた後、Iは元部下の被害者6人から「もう金はええ。永野をぶっ殺してくれ。」と頼まれたと報道陣に話すや、通路に面した玄関横の窓のアルミ・サッシを蹴破り、窓ガラスを割って中に侵入。永野会長の悲鳴、そしてIの怒声が響き渡った後、部屋から出て来たIは「おい、警察を呼べ、はよ。俺が犯人や。」と報道陣に語り、マンションから出た所を大阪府警天満署員に殺人の現行犯で逮捕された。永野会長は頭部等、全身13ヶ所を銃剣で刺されて絶命。
此の事件が異常だったのは、「多くのマスコミが生中継していたが、誰も止め様とはしなかった。」という点。自分も含めて見ている側もそうだったと思うけれど、生中継していたマスコミ関係者にも「『極悪人の永野会長は許せない。そんな彼が立て籠もる部屋の前に、謎の男2人が現れ、騒ぎ出した。何か起こるかも。』という“期待感”めいた物が在った様に思う。でも、まさか『目の前で殺人が行われる。』と迄は思わなかった。」というのが、実際の所だろう。
どんな理由が在るにせよ、法治国家で在る以上、犯罪は法に則って裁かれなければならない。“私刑”は許されず、況してや当時噂された様に「永野会長によって“真実”を明らかにされるのを恐れた“利害関係者”が、男2人を使って“口封じ”を図った。」というのが事実ならば、絶対に許される事では無い。
Iに対しては懲役10年、Yには懲役8年の実刑が確定した。余りにも衝撃的な殺人事件という割には、刑の軽さを個人的に感じた。「『極悪人を討ったから。』という思いが、軽い刑を選ばせた。」とは思いたく無いが、色んな意味で後味の悪さを感じさせる事件だったのは間違い無い。