「おー、XX!今、近くの温泉来てるんだけどさあ、『元気かなあ?』と思って電話した訳よ。え?ガハハハ、女と来てるんじゃねえよ。おめえじゃねーんだし。で、最近どうよ?景気良い話在るの?俺はサッパリよ。全く駄目駄目。(中略)今さあ『ウルサイ!』って、変なおっさんに言われちゃったよ。友達と久し振りに話してるっつーのに、思い遣りが無い人も居るだよなあ。うぜーから、電話切るわ。んじゃ、又な!」
2年程前だったか、郊外に在る温泉を訪れた際の出来事。30人分程の寝椅子が置かれた「休憩処」で転寝していた所、冒頭の話し声で目を覚まされてしまった。シーンとした静謐な空間を叩き崩す、途轍も無い大声。「五月蠅いなあ!」と思って声の方向を見ると、50代位のおっさんが携帯電話を握り締めて話していた。直ぐに終わるだろうと思っていたのだが、延々と馬鹿声で話をし続けているので、「五月蝿いぞ!」との意思を込めてわざとらしく咳をするも、全く御構い無しの無法者。遂に「我慢の限界」とばかりに或る男性が注意した所、無法者は捨て台詞を吐いた挙句に、やっと電話を終えたのだった。(普通なら恥ずかしくて休憩処から出て行きそうなものだけれど、何事も無かったかの様に其の輩は居続けたのだから、まともな神経では無いのだろう。)
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「東京の地下鉄、走行中もメール可能に 孫氏の孫氏の呟きから実現へ」(1月21日、J-CASTニュース)
ソフトバンクモバイルの孫正義社長は2011年1月20日、東京都の猪瀬直樹副知事と会談し、都営地下鉄の車両が駅の間を走行している間も携帯電話のメールが使える様にアンテナを設置する事で合意した。ソフトバンクだけで無く全携帯が使える様にする方向で、設置費用に付いては通信事業者側で負担する。東京メトロもアンテナ設置に前向きな姿勢を示している。会談は、孫社長が15日にツイッターでアンテナ整備を呼び掛けたのが切っ掛けで実現した。
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以前にチラッと書いたが、ファミレスで机を挟んで座っている2人が、延々とメールで“会話”している場面に出くわした事が在る。片方がチャカチャカとメールを打って送信すると、相手の携帯電話の受信音楽が鳴り、其れを読むや否や同様にメールを打って送信する・・・といった繰り返し。店員を呼んで普通に注文していたから、決して話せない訳では無い。時折御互いに顔を見合わせてニヤッと笑ったりしていたので、喧嘩をして直接話をしたくないからという訳でも無いと思う。人様に迷惑を掛ける訳でも無いし、そういう形も個人の自由なのだが、何か寒々しい感じがしてしまった。
電車の車内や街中で、延々と一心不乱にメールを打ち続けている人を良く見掛ける。皆でカラオケを歌っている時でも、メールを打ち続けている人も居るとか。他の人が歌っている時だけでは無く、自分が歌っている時でもチャカチャカメールを打っているというのだから、流石にどうかと思う。でも、人様に迷惑を掛けない範囲で在れば、其れは其れで個人の自由だ。
今回のニュースも「通話は他の客の迷惑になるから。」という理由から、「走行中はメールのみを認める。」という事らしい。IWGPシリーズの最新刊で主人公のマコトが「現代日本人は短い便りを歴史上もっとも膨大に送りつけあってる、暇で孤独恐怖症の人間なのだ。誰かとつながっていなければ、不安でしかたなくなる生きもの。それは大人も子どもも関係ないんだ。もっともその大切なメールの九割は、まるで意味のない空メールと変わらないんだけどな。」と語っている。個人的にも「走行中に迄送らなければならないメールって、果たしてそんなに多く在るのかなあ?其処迄する必要が在るのかなあ?」という思いは在るが、まあ其れは価値観の違いだし、人様に迷惑を掛けなければ走行中のメールは在っても良いだろう。
問題は「走行中の通話」だ。幾ら「走行中はメールのみを認める。」とした所で、通話出来る環境になれば、通話する連中は必ず出て来る。周りの迷惑を考えて小声で話す人は未だしも、「周りへの迷惑なんか知ったこっちゃ無い。」とばかりに車内で大声で話す馬鹿チンが存在する現状なのだから、走行中の通話が可能になったらどうなる事か。
平均寿命が伸び続けるのは喜ばしい事だけれど、平均寿命を伸ばす為に医療費がどんどん嵩んで行っている現実も在る。国民一人一人が負担出来る金額には自ずと限界が在り、或る時点で「『平均寿命の伸び』と『国民が負担出来る金額』とのバランスを勘案して、『もう、此の辺が限界だな。』という“臨界点”が見出される。」様に思う。
「何処でもメール出来る。」から発展し、「何処でも通話出来る。」といった風に利便性を追求し過ぎると、きっと多くが不快さを感じてしまう“臨界点”を超えてしまうのではないだろうか。
2年程前だったか、郊外に在る温泉を訪れた際の出来事。30人分程の寝椅子が置かれた「休憩処」で転寝していた所、冒頭の話し声で目を覚まされてしまった。シーンとした静謐な空間を叩き崩す、途轍も無い大声。「五月蠅いなあ!」と思って声の方向を見ると、50代位のおっさんが携帯電話を握り締めて話していた。直ぐに終わるだろうと思っていたのだが、延々と馬鹿声で話をし続けているので、「五月蝿いぞ!」との意思を込めてわざとらしく咳をするも、全く御構い無しの無法者。遂に「我慢の限界」とばかりに或る男性が注意した所、無法者は捨て台詞を吐いた挙句に、やっと電話を終えたのだった。(普通なら恥ずかしくて休憩処から出て行きそうなものだけれど、何事も無かったかの様に其の輩は居続けたのだから、まともな神経では無いのだろう。)
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「東京の地下鉄、走行中もメール可能に 孫氏の孫氏の呟きから実現へ」(1月21日、J-CASTニュース)
ソフトバンクモバイルの孫正義社長は2011年1月20日、東京都の猪瀬直樹副知事と会談し、都営地下鉄の車両が駅の間を走行している間も携帯電話のメールが使える様にアンテナを設置する事で合意した。ソフトバンクだけで無く全携帯が使える様にする方向で、設置費用に付いては通信事業者側で負担する。東京メトロもアンテナ設置に前向きな姿勢を示している。会談は、孫社長が15日にツイッターでアンテナ整備を呼び掛けたのが切っ掛けで実現した。
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以前にチラッと書いたが、ファミレスで机を挟んで座っている2人が、延々とメールで“会話”している場面に出くわした事が在る。片方がチャカチャカとメールを打って送信すると、相手の携帯電話の受信音楽が鳴り、其れを読むや否や同様にメールを打って送信する・・・といった繰り返し。店員を呼んで普通に注文していたから、決して話せない訳では無い。時折御互いに顔を見合わせてニヤッと笑ったりしていたので、喧嘩をして直接話をしたくないからという訳でも無いと思う。人様に迷惑を掛ける訳でも無いし、そういう形も個人の自由なのだが、何か寒々しい感じがしてしまった。
電車の車内や街中で、延々と一心不乱にメールを打ち続けている人を良く見掛ける。皆でカラオケを歌っている時でも、メールを打ち続けている人も居るとか。他の人が歌っている時だけでは無く、自分が歌っている時でもチャカチャカメールを打っているというのだから、流石にどうかと思う。でも、人様に迷惑を掛けない範囲で在れば、其れは其れで個人の自由だ。
今回のニュースも「通話は他の客の迷惑になるから。」という理由から、「走行中はメールのみを認める。」という事らしい。IWGPシリーズの最新刊で主人公のマコトが「現代日本人は短い便りを歴史上もっとも膨大に送りつけあってる、暇で孤独恐怖症の人間なのだ。誰かとつながっていなければ、不安でしかたなくなる生きもの。それは大人も子どもも関係ないんだ。もっともその大切なメールの九割は、まるで意味のない空メールと変わらないんだけどな。」と語っている。個人的にも「走行中に迄送らなければならないメールって、果たしてそんなに多く在るのかなあ?其処迄する必要が在るのかなあ?」という思いは在るが、まあ其れは価値観の違いだし、人様に迷惑を掛けなければ走行中のメールは在っても良いだろう。
問題は「走行中の通話」だ。幾ら「走行中はメールのみを認める。」とした所で、通話出来る環境になれば、通話する連中は必ず出て来る。周りの迷惑を考えて小声で話す人は未だしも、「周りへの迷惑なんか知ったこっちゃ無い。」とばかりに車内で大声で話す馬鹿チンが存在する現状なのだから、走行中の通話が可能になったらどうなる事か。
平均寿命が伸び続けるのは喜ばしい事だけれど、平均寿命を伸ばす為に医療費がどんどん嵩んで行っている現実も在る。国民一人一人が負担出来る金額には自ずと限界が在り、或る時点で「『平均寿命の伸び』と『国民が負担出来る金額』とのバランスを勘案して、『もう、此の辺が限界だな。』という“臨界点”が見出される。」様に思う。
「何処でもメール出来る。」から発展し、「何処でも通話出来る。」といった風に利便性を追求し過ぎると、きっと多くが不快さを感じてしまう“臨界点”を超えてしまうのではないだろうか。