昔、「たこ八郎」【動画】というコメディアンが居た。亡くなったのが1985年と、もう37年も前の事なので、知らない人も多くなった事だろう。
「日本の元プロボクサーで在り、フライ級王者にもなった人物。」だが、プロボクサーを引退した後はコメディアンの由利徹氏に弟子入りし、芸能界デビューしたという経歴を持つ。“パンチドランカー”の症状として、台詞覚えが悪かったり、寝小便をしたり等、周りに迷惑を掛ける事も少なく無かった様だが、憎めない人柄で人気を集めた。
そんなたこ八郎氏の事を思い浮かべた時、自分は“1人の女性”が同時に思い浮かぶのだ。寝小便の後始末等、彼の面倒をずっと見続け、彼が44歳で急死した際には、人目を憚らずに号泣していた人。「優しい人だなあ。」という印象と共に、周りをぱっと明るくする存在感が大好きだった。彼女の名前は「あき竹城」。
【あき竹城さん】
其のあき竹城さんの訃報が、昨日報じられた。「今月15日、大腸癌にて75歳で亡くなられた。」と。2年前から闘病生活を送られていたのだとか。
「最近、あきさんの姿を見掛けないなあ。」と思っていたら、今年2月、某週刊誌に「年齢的にもコロナが怖い、仕事は御休みしている状況です。」というあきさんのコメントが載っていた。2年前の10月以降、TV番組への出演はしていないとも。
「確かにコロナは怖いけど、あんなに元気な人なのだから、少し神経質になり過ぎてるんじゃないかなあ。」という思いが、自分には在った。違和感と言っても良い。でも、今回の訃報により、闘病という本当の理由を知る事に。「闘病している身に、コロナ感染は非常に危険。」というのも当然在ったろうが、「元気者のイメージが在る自分なので、少しでも弱った姿を人に見せるべきでは無い。」というあきさんの強い思いも在ったのではなかろうか。
9年前の記事「おえりゃあせんのう。」の中でも書いた様に、自分は昔から「『方言を常時使う役者』が好き。」なのだ。だから、出身地・山形県の“山形弁”丸出しで話すあきさんは、上記した理由も加わって、大好きな女優の1人。13年前の記事「パッと思い浮かぶ有名人は? 【北海道&東北編】」で、山形県を代表する有名人としてケーシー高峰氏と彼女を挙げた程。
あきさんと言えば、映画やTVドラマ等、思い出す場面は多いけれど、御笑い番組での或る場面が、特に忘れられない。もう大分昔、記憶違いで無ければとんねるずの番組で、「フォーマルな出で立ちの“コーラス隊”が『だれかさんが だれかさんが だれかさんが みつけた♪』で始まる『ちいさい秋みつけた』【動画】を真面目に歌い始める所から始まり、『ちいさい あき ちいさい あき ちいさい あき みつけた♪』で合唱を終える。舞台が静まり返ると、前の床が迫り上がって来て、あきさんが登場。そして、『あたすがあき竹城だす!(私があき竹城です!)』と一言だけ言うという場面。」だ。「ちいさい あき」の「あき」と、「あき竹城さん」の「あき」を掛けただけの事だが、余りにも馬鹿馬鹿しくて大笑いしてしまった。
最近で言えば、渡辺徹氏【動画】や水木一郎氏【動画】の様に、「周りをパッと明るくする元気者。」というイメージの方が病気で亡くなられると、非常にショックな物が在る。あきさんもそんな1人で、彼の山形弁丸出しの元気な声がもう聞けないのは、本当に寂しい。合掌。