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「米住民暴動、最悪規模に 警官不起訴で抗議拡大」(11月26日、東京新聞)
米中西部ミズーリ州ファーガソンの白人警察官による黒人青年射殺事件で、警察官が不起訴となった事を受け、反発する黒人住民等の一部が25日迄に暴徒化した。AP通信等によると、ファーガソンに在る建物10数棟が放火される等し、地元警察との衝突等で14人の負傷者が出た。警察は25日迄に少なくとも61人を放火や不法侵入容疑等で逮捕、8月の事件以来、最悪の暴動との認識を示した。
逮捕者は隣接するセントルイス市を含め、80人以上との報道も在る。東部ニューヨーク等、米主要都市でも24日夜、計数千人が不起訴処分に反発する抗議デモを実施した。
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今年8月、ミズーリ州のファーガソンで、帰宅途中の黒人少年(18歳)が「歩道を歩く様に。」と注意して来た白人警官と口論となり、射殺された事件。白人警官は「少年が殴り掛かって来て、銃を奪おうとした。身の危険を感じた為、止むを得ず撃った。」と主張。一方、「少年は両手を挙げて、無抵抗状態だった。そんな彼を警官は真正面から、頭部等に12発撃った。」という目撃者情報も在る。目撃者情報が正しいとしたら、警官の行動は明らかに問題で在り、其の根底に「白人の黒人に対する差別意識」が在った可能性は高い。そうなると、「起訴が当然の行動でも、白人が対象ならば不起訴になるのか?」と、デモ活動が起こるのも理解出来る。
「自由と平等の国」を謳い乍ら、アメリカに於ける差別意識は根強い。「白人とアフリカ系(黒人)国民の間の資産額の格差は、過去25年で約3倍に拡大した。」というブランダイス大学の調査結果、そして「今年の7月の時点で、白人の失業率が5.3%だったのに対し、黒人は11.4%と2倍近かった。」という労働省の報告を鑑みると、白人と黒人間の経済格差が拡大した事も、今回のデモ活動に拍車を掛けた面が在る様にも。
デモ活動の中には、白人の姿も散見される。差別や(白人の間でも経済格差が拡大していると言われているので。)貧しさに対し怒りを覚えた上での共闘なのかもしれない。
デモ活動自体は理解出来るものの、暴力に訴えたり、どさくさに紛れての略奪行為等は絶対に許される物では無い。何れだけ正しい主張で在っても、一部とはいえ、そういう暴挙が存在してしまうと、全てが否定的に捉えられてしまい兼ねないので。
又、我が国でも“常軌を逸したレヴェルの差別的言動”を繰り返す輩(こういう連中は概して、必要以上に“日本的な物”をアピールする傾向が在る。着物着用は未だしも、暑くも無い時期に扇子を持ち、此れ見よがしにパタパタと扇いでいるのを見ると、「『日本的な物を常に追い求める人間=愛国者』という形式主義的な強い思い込みが在るんだろうなあ。」と苦笑してしまう。)が居るけれど、そういう輩が増加してしまうと、今回のアメリカの様な状況になってしまうだろう。「他山の石以て玉を攻むべし」だ。
新宿騒乱?
http://cgi2.nhk.or.jp/postwar/news/movie.cgi?das_id=D0012301104_00000
(投石者は野次馬のほうにも多かった)
国電暴動?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%96%E9%83%BD%E5%9C%8F%E5%9B%BD%E9%9B%BB%E6%9A%B4%E5%8B%95
他に船橋競馬での暴動、阪神と巨人の優勝決定戦にファン殴りこみ、というのが1970年代前半にあるが…。
http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%9A%B4%E5%8B%95%E4%BA%8B%E4%BB%B6
やや特殊事例の西成暴動、三里塚闘争関係以外では国電暴動が最後ですかねえ?
常識的なルールに則った形でのデモ活動はOKだけれど、右or左に拘わらず、暴力に訴えたり、妙な利権を求めたり、将又、どさくさ紛れの違法行為をしたりというのは、全く許されない。そういうのが在ったりするから、「デモ活動=テロ」なんていう訳の判らない政治家を利してしまう訳で、デモ活動をする上で、其の点だけは留意して貰いたい。
御紹介戴いた「新宿争乱」もそうですが、暴動の中心に居る者よりも、第三者による暴挙が結構在ったりするのでしょうね。
また、わざと悪事を働く事で批判の矛先を変えようとし、反対派を紛れ込ませている、というのも無いとはいえないように思います。
特に民主化を求める香港のデモを見ていると、目先の利益に目が奪われて、将来への希望を潰しにかかる人たちがいるように思えてなりません。
他国だけでなく、日本にも同じ傾向が見られますが・・・。
金銭に纏わる問題が、何時迄経っても無くならない政界。「同じ様な問題が繰り返されるのは、罰則が甘いから。そういう問題が発覚した段階で、即刻議員辞職&数年間は議員になれないといった厳罰を設ければ、『割が合わない。』として、身を律するだろうに。」と思う一方で、「厳罰化を利用して、“政敵”の秘書等に“身内の人間”を送り込み、金銭問題を“作り上げ”、追い落としを図る輩が出る可能性も在るなあ。」と思ったりもする。
ですので、悠々遊様の「態と悪事を働く事で、批判の矛先を変え様とし、反対派を紛れ込ませている、というのも無いとは言えない様に思います。」というのも、充分考えられる事だと思います。
香港って非常に複雑な“国”で、国民は中国からの干渉を嫌う一方、経済面等から中国の存在に大きく依存しているという現状が在りますよね。だから、最初は民主化を求めるデモに対して好意的な目を向けていた人達も、デモが長引く事で中国からの観光客が減る等し、経済的にダメージが出て来た事で、デモに対して批判的になって来た。其れは判らないでも無いけれど、仰る様に“長期的な展望”からすれば、そういう事だけでデモに反対するのは、結果的に自らの首を絞める事にも繋がり兼ねない。
何処の国でも為政者は、自分達にとって都合の良い様に情報を捻じ曲げて報じさせる物。国民は様々な方向からの情報に当たり、踊らされない様にしないといけませんね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9%E6%9A%B4%E5%8B%95
>デモ活動をする上で、其の点だけは留意して貰いたい。
まあ今の人はそう仰いますが、そんな綺麗ごとが通る時代では無かったですけどねー。新宿騒乱の時代は。当時良く「防衛産業の象徴」としてデモ隊が良く来ていた三菱重工はヤクザつかって追い払うなんてざら、と有名でしたし、別に三菱重工に限ったことでは無かったですしねー。チッソとかも有名。大概は今はコンプライアンスと偉そうな大企業もスト破りとかで暴力団や総会屋と癒着してた時代でしょ。国電暴動でわかるように一般人も今に比べると随分荒っぽかった時代でした。国電の職員も今と違って傲慢でしたし。運動やるために入った連中もいたと思う(都会の郵便局や役所もそういう方結構居た)。それにしても1980年代以降の社会、人心の変化というのはすさまじい。あんな時代に戻らないようにしないといけない。
“時代の違い”と言うのは、確かに在るでしょうね。自国のみならず他国にも多大な迷惑を掛けている中国の公害やら著作権侵害等には、心底憤りを感じるけれど、思い返せば自分が子供だった時分の日本は、程度の差こそ在りすれ、今の中国を真正面から批判出来る様な状況じゃなかったですし。
だからこそ、「あんな時代に戻らないようにしないといけない。」というAK様の御主張には、全く同感です。
属性そのものを誹謗することだけでなく、能動的に変えることのできる行動様式がその属性に由来する・特有のものであると主張することもまた巧妙なヘイトスピーチであり、特定の国家・民族に属する人物の行動を「何々人だからこうなのだ」といちいち当てこするような輩には辟易します。
しかし、「能動的に変えることのできる行動様式がその属性に由来する・特有のものである」という主張を差別される側が横車を押す材料として使うこともある。何々であるという属性と不法行為はイコールではないし、仮にその不法行為がその属性の人に多く見られるものだったとしても、不法行為をしていい理由にはならない。
明々白々に問題が在ると思われる対象“だけ”を非難するのならば話は判るけれど、~人といった大まかな括りで非難する、其れも全く非難されるべきでは無い一市民達を恫喝する様な遣り口というのは、本当に卑怯だなあと思います。自分や自分の身内が同様の事をされたら、其れでも「正当な抗議活動で在るから、全く問題無し」と、彼等は言えるのだろうか?ヘイト・スピーチを積極的に行っている連中には、人から注目される事で高揚感に浸っているという感じしか受け取れません。