松岡利勝農林水産大臣が、衆議院赤坂議員宿舎の自室で首吊り自殺を遂げた。一人の人間が亡くなった事に付いては心からの弔意を表したいが、”政治家としての彼”が自殺という選択肢を選んだ事に「気の毒。」とか「可哀想。」といった思いは全く無い。
安倍内閣が発足した際、金に纏るブラックな噂が絶えない松岡利勝氏を大臣に起用する事への懸念を書かせて貰った。彼の存在がこの内閣にとって”時限爆弾”になるだろうとは思っていたが、案の定と言うべきか次から次へと疑惑が発覚。特に今年に入って発覚した「事務所費の不透明な支出」に付いては、「ナントカ還元水購入や暖房費として適切に使用した。」と聞いているこちらが恥ずかしくなってしまう程の見苦しい言い訳に終始し、説明責任を一切果たして来なかった。又、最近では「農林水産省所管の独立行政法人『緑資源機構』を巡る官製談合事件に絡み、同機構が発注した事業の受注業者『特定森林地域協議会』から献金を受けていた問題」が発覚し、松岡氏の地元・熊本県で実施している「特定中山間保全整備事業」も東京地検の強制捜査の対象となっていたという。一度ならば未だしも、これ程迄に疑惑が噴出していて全くの清廉潔白とは到底思えないが、疚しい所が全く無いと言うので在れば、正々堂々と説明責任を果たした上で身の潔白を証明す可きで、自殺という形で幕を引くのはおかしな話。
「『死者に鞭打たない』という美学が、この国を駄目にして行っている。」という私見を過去に何度か書いた。疑惑に関連した人物が自殺する(させられる?)と「死者に鞭打たない」という美学が働き、疑惑の究明をそれ以上行わなずに結局曖昧模糊な形で終結させてしまう。妙な美学に酔い痴れ、腐敗の温床を究明&根本からの改善を図らないからこそ、同じ様な疑惑が次から次に繰り返されるのではないか?
唯でさえ、訳の判らない逆切れを見せる安倍首相。支持率が低迷している今だからこそ、今回の一件を「マスメディアや野党が執拗に追及したから、松岡大臣は自殺したのだ!」といった御門違いな逆切れを見せるのではないかという不安を持っている。もしそんな事を口にしたならば、それは完全に話の掏り替え。説明責任を果たさず、のらりくらりと追及をかわしていた松岡大臣が悪いのだから。
1980年の衆参同日選挙期間中、時の総理・大平正芳氏が心筋梗塞で急死した。自民党はこの選挙を「弔い合戦」と位置付け、その結果自民党は大勝を果たす事に。「弔い合戦」というキーワードに弱い国民性を象徴する選挙だったと思っている。今夏の参議院選挙で苦戦を予想される自民党が、起死回生の策として松岡大臣の自殺を「弔い合戦」という事で利用してはならないし、国民も感情に流されずに投票して欲しいもの。
安倍内閣が発足した際、金に纏るブラックな噂が絶えない松岡利勝氏を大臣に起用する事への懸念を書かせて貰った。彼の存在がこの内閣にとって”時限爆弾”になるだろうとは思っていたが、案の定と言うべきか次から次へと疑惑が発覚。特に今年に入って発覚した「事務所費の不透明な支出」に付いては、「ナントカ還元水購入や暖房費として適切に使用した。」と聞いているこちらが恥ずかしくなってしまう程の見苦しい言い訳に終始し、説明責任を一切果たして来なかった。又、最近では「農林水産省所管の独立行政法人『緑資源機構』を巡る官製談合事件に絡み、同機構が発注した事業の受注業者『特定森林地域協議会』から献金を受けていた問題」が発覚し、松岡氏の地元・熊本県で実施している「特定中山間保全整備事業」も東京地検の強制捜査の対象となっていたという。一度ならば未だしも、これ程迄に疑惑が噴出していて全くの清廉潔白とは到底思えないが、疚しい所が全く無いと言うので在れば、正々堂々と説明責任を果たした上で身の潔白を証明す可きで、自殺という形で幕を引くのはおかしな話。
「『死者に鞭打たない』という美学が、この国を駄目にして行っている。」という私見を過去に何度か書いた。疑惑に関連した人物が自殺する(させられる?)と「死者に鞭打たない」という美学が働き、疑惑の究明をそれ以上行わなずに結局曖昧模糊な形で終結させてしまう。妙な美学に酔い痴れ、腐敗の温床を究明&根本からの改善を図らないからこそ、同じ様な疑惑が次から次に繰り返されるのではないか?
唯でさえ、訳の判らない逆切れを見せる安倍首相。支持率が低迷している今だからこそ、今回の一件を「マスメディアや野党が執拗に追及したから、松岡大臣は自殺したのだ!」といった御門違いな逆切れを見せるのではないかという不安を持っている。もしそんな事を口にしたならば、それは完全に話の掏り替え。説明責任を果たさず、のらりくらりと追及をかわしていた松岡大臣が悪いのだから。
1980年の衆参同日選挙期間中、時の総理・大平正芳氏が心筋梗塞で急死した。自民党はこの選挙を「弔い合戦」と位置付け、その結果自民党は大勝を果たす事に。「弔い合戦」というキーワードに弱い国民性を象徴する選挙だったと思っている。今夏の参議院選挙で苦戦を予想される自民党が、起死回生の策として松岡大臣の自殺を「弔い合戦」という事で利用してはならないし、国民も感情に流されずに投票して欲しいもの。
周辺の反応は「この内閣も仕舞いやね」という感じ。
ただマスコミが一部「実はいい人でした」みたいな報道をしているのが「死者に鞭打たず」精神の表れでしょうか。しかしいわゆる保守の中でもかなり右寄りにあたるような政治評論家らが「説明責任逃れ」や「内閣の責任」にも触れていました。さすがにかばえるような人、内閣ではないという認識なのでしょうか。
>もろいのですぐに死のうとするという
そんな感じですね。そう考えると今、刑に服している山口敏夫、過去服していた中村エイシロウ(こんな名前だったかな?)、山本ジョージはもろくなかったか単に死ぬ勇気がなかったか、というところでしょうか。
強大な権力を握り、踏ん反り返っていた人程、刑務所に入ると脆くも崩れ去ってしまう人が少なく無いと言われますよね。入所した際、余計な物を持ち込んでいないか身体検査をされるそうですが、その際真っ裸にされて尻の穴迄何かを隠していないか確認されるとか。自尊心の強い人物程、此処迄恥辱的な事をされるとプツンと張り詰めた糸が切れ、素直に応じる様になるのだそうです。その気持ち、何となく判りますね。
国民の代表として国政に当たっている以上、きちんと説明責任を果たさず、自らの命を絶ってしまうというのは背信行為に過ぎないと思うし、間違っても某都知事が口にした様な「武士として自らのけじめを付けた。」といった”美談”にす可きものでは無いと思っています。
それにしても安倍首相の言葉って、どうしてこんなに心に響く物が無いのでしょうか。支持率低下を受け、広報担当から「記者から質問を受けた場合、記者の目を見て話すのでは無く、カメラ目線で答える様に。そうした方が国民に向かって話しているという感じが強く、好感度も上がる。」というアドバイスを受けて、最近はカメラ目線という何か妙な形で記者の質問に答えている安倍首相。唯、閣僚の一人が自殺したという事態を受けての記者会見でも、”何時もの如く”カメラ目線で淡々と答えているのには、正直寒さを感じました。パフォーマンス云々は別にして、自らが選んだ閣僚が、それも自身の政権延命の為に”飼い殺し”にしていたとしか思えない人物の自殺に対して、普通の人だったら目を逸らすなりの動揺が在ると思うのに・・・。
ハッキリ言って松岡利勝氏という政治家は嫌いでしたが、一人の人間が亡くなったという事に対しては弔意を覚えます。唯、政治家として説明責任は果たさずに自ら命を絶ったというのは、国民に対する背信行為に過ぎないと思っています。憶測で物を書くのは非礼な事では在りますが、彼にはNHKでアナウンサーをしている息子さんが居られるという事ですし、安倍首相に宛てた遺書の中には「真相を明らかにせず、一身に責任を背負って命を絶つので、息子が選挙に出た際には党を挙げてバック・アップして欲しい。」といった文言が在ったのではなかろうか?という裏読み迄してしまいます。それ程迄にマヌケ様と同様、政治家を信頼出来ない自分が居ます。
以前にも何度か書いたのですが、”まともな”政治活動に多額の金銭が掛かるというので在れば、国費でそれをきちんと負担して構わないし、議員の歳費だって多額で在っても良いと思うんです。問題はそれに見合った政治活動をせず、単に私利私欲を肥やすが為に政治”屋”になっている輩ばかりが目立つ事。政治家の定数を半分位に減らし、浮いた分をまともな政治活動の為に廻せば良いと思うんですけどね。
そう思いました。
それにしても、わたしが、注目したのは、高市早苗。記者に囲まれて、何がなんでも泣かなくちゃ・・みたいな、へんな態度でした。松田聖子じゃあるまいし、芸能人でもないのに・・もうちっと、政治家らしいふるまいがあるだろうに。。
とにかく、松岡大臣にしても・・高市早苗にしても大臣にしていい人だったのか!!安部さんの目はどうかしてる。。
率直に言うと、故松岡大臣のみを責めるのは釈然としませんね。なぜなら、自民党のみならず民主党においても小沢代表の10億円の政治資金や前角田参院副議長の朝鮮総連からの政治資金疑惑があるわけです。はっきりいったら朝鮮総連からの政治資金などは拉致事件のことを考えるときわめて国益を損なうものであり、辞職しただけで済むものではありません。
おそらく、安倍首相が松岡さんを辞職させていたら、「トカゲの尻尾きり」などとマスコミや世論は言ったでしょう。とくに朝日や毎日などしか読まない方々は・・
こんなこと書いたらgiants-55様に嫌われることを覚悟で書きますが、「有能で黒い政治家」と「無能で白い政治家」どちらかを選べといわれれば、私は前者を選びますね。現状、自民党以外の当に政権を任せるのは今以上に私は不安です。
正直に書かせて貰うならば、今回の一方を耳にした時「口封じされたのかな・・・。」という思いが在りました。政界絡みのスキャンダルが発生する度に、関連する人間が自殺したり、時には自殺に見せ掛けて殺されたのではないだろうか?と思う様な亡くなり方をするのが常だからです。唯、場所が議員宿舎という事や、当事者が松岡氏という事からその可能性は低いだろうというのが次に起こった思いでした。
何度も書いていますが、一人の人間が亡くなったという事実に関しては心より弔意を表しておりますが、松岡氏を「武士」に擬えて賞賛したり、悲劇の主人公の様な捉え方をしている”様な”政治家達には非常に違和感を覚えます。彼等の心の中には「自分達が国民の代表で在り、説明責任を果たさずに命を絶つという事が、国民に対する背信行為で在る。」という思いが無い気がしてならないのです。
高市女史の言動、申し訳無いのですが自分も引きました。松岡氏の事を心から哀しんでいたのかもしれませんが、何もカメラが回っている中で”わざわざ”座り込んで泣かなくても・・・。
昨日はZARDのヴォーカル・坂井泉水さんが御亡くなりになられていた事が明らかになった日でも在りました。彼女の澄み切った歌声は結構好きでしたので、若くして御亡くなりになられた事が残念でなりません。所属事務所からは事故死という発表が為されましたが、正直な思いを言えば「本当は違うのではなかろうか・・・。」というのが在ります。でも、そんな事はどうでも良い話。彼女が亡くなったという哀しい事実は何等変わらないし、それがどういう形での死で在ったかを詮索する事は全く必要では無いと思うのです。「前向きな歌を歌っていた彼女が、事故死では無かった。」なんて考えたくも無いし、彼女のファンに与える影響を考えても事務所の発表を信じれば良いではないかと、やれああだこうだと詮索しているマスメディアに対して思います。
話は一寸逸れてしまいましたが、松岡氏が自ら命を絶たれたという事実には心から弔意を持っているものの、絶対に在ってはならない事は「自殺を持って全てを清算した。武士らしい生き様だ!」的な「死を美化」する様な論調。法律に則った「死刑」は別にして、「死は決して美しいものでは無いし、ましてや与えられた命を自ら絶つという行為は、生きたくても生きられなかった人達に対して非礼で在るし、残された関係者に重荷を背負わせる。」事をマスメディア等は訴える可きだと思います。