ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

「始まりの木」

2021年01月22日 | 書籍関連

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藤崎千佳(ふじさき ちか)は、東京に在る国立東々大学の学生で在る。所属は文学部で、専攻民俗学指導教官で在る古屋神寺郎(ふるや かんじろう)は、足が悪い事を物ともせず日本国中にフィールド・ワークへ出掛ける、偏屈で優秀な民俗学者だ。古屋は北から南へ練り歩くフィールド・ワークを通して、“現代日本人の失った物”を藤崎に問い掛けて行く。学問と旅を巡る、不思議な冒険が始まる。
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現役の医師でも在る小説家夏川草介氏の小説始まりの木」は、「民俗学を専攻する学生・藤崎千佳子が、偏屈だが優秀な指導教官・古屋神寺郎と、日本各地をフィールド・ワークして行く中で、民俗学の神髄に目覚めて行く。」というストーリー。

信州大学医学部医学科を卒業したという事も在って、「“日本の自然の雄大さや美しさ”が感じられる。」というのも夏川作品の魅力の1つだが、今回の「始まりの木」も例外では無い。読んでいて、其の地を訪れたくなる。

又、夏川氏の「神様のカルテ・シリーズ」の主人公同様、古屋も“非常に癖の強い主人公”で、「夏川作品らしいな。」とニヤッとしてしまう。

読み始めた頃、「退屈な作品だなあ。」と感じた。民俗学なる物は知っているけれど、「古臭くて、面白みの無い学問。」というイメージが強く、だからこそ民俗学を扱っている内容に興味が無かったから。でも、読み進めて行く内、作品の世界に引き込まれて行った。物事を『損or得?』、『即座に役に立つor立たない?』という面“だけ”で判断してしまい勝ちな現代人に対し、一石を投じる作品。だ。

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科学と、それに基づく科学的思考は確かに大切だ。しかしそれは、あくまでも道具に過ぎないということだ。道具は用いる者の態度次第で、役にも立つし害にもなる。強力な道具であればあるほどそうだ。火は人間に、魚を焼き米を炊くことを教えてくれたが、使い方を誤ればを焼き、炊事場を焼き、家そのものを焼き払うことさえある。

日本のには、大陸の神に見られるような戒律も儀式もない。教会モスクも持たない。それゆえ、都市化とともにその憑代である巨岩や巨木を失えば、神々は、その名残りさえ残さず消滅していくことになる。ニーチェは『神は死んだ』と告げたが、その死に自覚さえ持たなかったという点で、欧米人より日本人にとっての方がはるかに深刻な死であったと言えるかもしれない。

この国の人々にとって、神は心を照らす灯台だった。。不思議な言葉が響いた。灯台にすぎなかった、と言い換えてもいい。もとより灯台が船の目的地を決めてくれるわけではない。航路を決めるのは人間だし、船を動かすのも人間だ。何が正しくて、何が間違っているのか、灯台は一言も語らない。静まり返った広大な海で、人は自ら風を読み、星に問い、航路を切り開くしかない。絶対的な神の声がない以上、船はしばしば迷い、傷つき、ときには余人の船と衝突することもある。しかし絶対的な教えがないからこそ、船人たちは、自分の船を止め、他者と語り合うこともできたのだ。己の船が航路を誤っていないか、領分を越えて他者の海に迷い込んでいないか、そのことは、寄って来る港を振り返りさえすれば、灯台の火が教えてくれる。船が今どこにいるのか、どれほど港と離れているか、人はささやかな灯を見て航路を改め、再び帆を張ることになる。この国の人々はそうして神とともに生きてきた。この地の神とはそういう存在だったのだ。その神が、今姿を消しつつある。それはつまり、灯台の光が消えようとしているということだ。
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5つの短編小説で構成されているが、個人的には第2話「七色」が一番印象に残った。子供の頃に読んだ「雨月物語」は、今も忘れられない作品の1つだが、読んでいて此の「雨月物語」の或る作品と似た雰囲気を感じたので。で、最後読んだ所、其の作品に触れた箇所が在り、「矢張りなあ。」と思った次第

総合評価は、星4つとする。


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