ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

「北斗 ある殺人者の回心」

2013年01月28日 | 書籍関連

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幼少時から、両親に激しい暴力を受けて育った端爪北斗(はしづめ・ほくと)。誰にも愛されず、誰も愛せない彼は、父が病死した高校1年生の時、母に暴力を振るってしまう。児童福祉司勧め里親の近藤綾子(こんどう・あやこ)と暮らし始め、北斗は初めて心身共に安定した日々を過ごし、大学入学を果たすものの、綾子が末期で在る事が判明、綾子の里子の1人で在る鞠谷明日実(まりや・あすみ)と共に、懸命な看病を続ける。

 

治癒への望みを託し、癌の治療に効くという高額な飲料水を購入していたが、医学的根拠の無い詐欺で在った事が判り、綾子は失意の内に亡くなる。飲料水の開発者への復讐を決意し、其のオフィスへ向かった北斗は、開発者では無く、女性スタッフ2人を殺めてしまう。

 

逮捕され、極刑を望む北斗に、明日実は「生きて欲しい。」と涙乍らに訴えるが、北斗の心は冷え切っただった。事件から1年、遂に裁判開廷し・・・。

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「幼少期から常軌を逸し凄惨虐待を、両親から受け続けて来た北斗。」を主人公に据えた小説「北斗 ある殺人者の回心」(著者:石田衣良氏)。小説の中の話と判っていても、余りに凄惨な虐待の描写には、胸を掻き毟られる様な痛みを感じてしまう。

 

「誰も、愛してなんかくれない。」、「人を信じちゃいけない。」、「自分は、生まれて来てはいけなかった人間なのだ。」という思いに凝り固まってしまった子供は、優しさに触れたとしても、「其の人間が、本当に自分の事を思っていてくれるのか?」と疑心暗鬼になる。だからこそ次々にトラブルを起こす事で、相手を試すと言う。

 

殺された人間には『遣り直しの機会』が無いというのに」等、過去に何度か記事にしたが、自分は「死刑制度賛成」の立場だ。反対派の意見の中には共感覚える部分も無くは無いけれど、「身勝手さから他者の命を奪った者は、“原則として”死刑に処されるべき。」と考えている。

 

何故「原則として」という但し書きを付けたかと言えば、「殺人行為の中にも『情状酌量余地』を感じてしまうケースが在り、そういったケースでは刑罰斟酌しても良いのではないか。」と思っているから。永山則夫元死刑囚の様に、余りに苛烈な幼少期を送って来たケースでは、「殺人=死刑」という方程式を当て嵌めてしまうのはな気がする。厳罰に処されるべきでは在るけれど、死刑は控えて欲しい。」と。

 

人を信じられず、自暴自棄になっていた北斗が、里親の綾子と出会った事で、初めて「愛されている。」という思いを持ち、そして他者を愛す事が出来る様になる。しかし、其の愛する綾子を失い、人を殺めてしまった事で、再び不信感に満ち溢れた人間となってしまう。「自分を救おうとしている人が居る。」という“事実”に触れても、心を閉ざしてしまった彼は、其れ受け容れる事が出来ないのだが、自身の裁判が進んで行く過程で、気持ちが揺れ動いて行く。其の描写に、心を揺さぶられてしまった。

 

手塚治虫氏の作品「ブラック・ジャック」の中に、「幸運な男」という話が在る。血の繋がらない“親子”の情愛を描いた名作なのだが、「北斗 ある殺人者の回心」を読んでいて、此の名作を思い浮かべてしまった。

 

総合評価は、星4つとする。


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4 コメント

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>マヌケ様 (giants-55)
2013-01-29 13:46:09
書き込み有難う御座いました。

余りにも苛烈な環境で育って来た為に、真っ当な判断力をも有していない人間は居り、其の事で凶悪犯罪を起こしてしまった場合には、精神鑑定等を受けさせる必要性は在ると思います。唯、「極刑を避けんが為だけに加害者が精神的な異常を“装っている”様なケース(弁護士が入れ知恵している様なケースも。)も見受けられ、そういうのをどうやったら“排除”出来るかは考えないといけないでしょうね。

死刑制度には賛成だけれど、冤罪が生み出されてはならない。其の為にも「確固たる証拠」を元にし、徹底的に検証した上での判決が絶対。

ネット上に記された「デマ」を盲目的に信じてバッシングしたり、「法的には無罪で在っても、無実とは限らない。」なんていう「法治国家」を否定する様な発言を平気でしてしまう首相が居たりする現状では、冤罪を生み出さない為の「縛り」は厳しくならざるを得ないのかも。
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Unknown (マヌケ)
2013-01-29 12:51:38
精神年齢に関する考え方は透明人間に賛成します。 それを証明するために精神鑑定などきちんと行う必要がありますし、被害者やご遺族ではない第三者が感情だけで死刑を連呼するような世論によるリンチ状況が作られてはなりません。 光市の結末のようなことも現実にはありますし。 ただし、抑止としての死刑制度は犯罪の凶悪化からも必要ではないかと思います。 今、いちばん恐ろしいと思っているのは過去、粗末なDNA鑑定を過信して、実は無罪の人が幾人かは死刑になってしまっているのではないかということと、蒸し返して欲しくない司法が重たい腰を上げようとしないことです。 検察官も出世や人事という普通の組織の人間的な欲望で行動している人がたくさんいて、功名心もあるでしょう。 間違いをしない人間なんてないのですから、そういうところを考えると死刑制度では司法の威厳とか権威のために犠牲を生むような取り返しのつかないことをしてしまう可能性もあります。
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>透明人間様 (giants-55)
2013-01-29 01:09:16
書き込み有難う御座いました。

自分は虐められた経験も在りますし、又、虐めた経験も在る人間です。虐められたという点に関して言えば、自分自身に可成りの落ち度が在った。そして虐めたという点に関しては、相手に何等落ち度が無かった。だから偉そうな事を言える立場には無いのだけれど、加害者&被害者双方の経験をした身から言えるのは、「虐めた側は虐めた事を直ぐに忘れ得ても、虐められた側はずっと忘れ得ない。」という事。

死刑制度に関しては、賛否両論在って当然と思います。どういう形で在れ、「人の命を奪う」というのは重い事で在り、だからこそ様々な考え方が在ると思っています。ですので透明人間様の御考えも尊重されるべきですし、不快云々は気になさらなくて良いかと。
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Unknown (透明人間)
2013-01-28 23:37:19
死刑は難しい問題ですね
よく中学時代にイジメが原因でヒキコモリになり世間との接触を絶ち人との関わりは家族のみそして二十歳を過ぎたある日に通り魔的な犯罪で人を殺した

と言う事件を耳にしますが人は世間(学校、アルバイト、会社)人(老若男女、嫌な人、好い人)との関わりで成長すると思います
俺は15歳位から家にヒキコモリした人間は大人への成長(15歳で時間が止まった?)が止まった人間と思いますあくまでも俺個人の意見ですけどね
精神的には未成年なのに年齢が二十歳をこえてるからと死刑にする・・・
ブログ主と閲覧してる方々が気分を害されたたらごめんなさい
まぁ実際は俺も殺された遺族の立場になればこんな事は言えないと思いますけどねf(^_^;
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