ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

“伝説の試合”から50年 Part1

2009年06月25日 | スポーツ関連
先日の記事「ズバリ聞きます!(33)」で「貴方が生まれる前、又は生まれていたとしてもリアル・タイムに眼前で見た事の無い野球の場面を3件生で見られるとしたら、そのベスト3には何を選びますか?」という質問をさせて貰った所、多くの御答えを頂戴した。どれも「確かに生で見てみたい。」と思う場面だったが、“或る試合”に対して想像以上の声が集まった事。1959年6月25日、昭和天皇(当時は今上天皇)夫妻臨席の上で後楽園球場にて行われた「ジャイアンツvs.タイガース」の試合、所謂天覧試合」(動画)は「伝説の試合」の一つだが、この試合を挙げられた方が結構居られたのだ。「何人かは挙げられるだろう。」とは思っていたが、恐らくその当時生まれておられなかった方々があれ程多く挙げられるとは。それだけ多くの人々を魅了する物が在る(在った)試合と言える。

そんな伝説の試合から今日で丁度50年。(一昨日の報道ステーションでは天覧試合に出場していた選手達が登場し、様々な秘話を披露していたのは興味深かった。)共に試合が組まれていない“休息日”だが、「これだけ天覧試合に関心を持っている人が多いのだから、この日に『ジャイアンツvs.タイガース』戦を組み、『伝説の試合から50年目の今日、勝つのはどちらか?』といった感じで売り出せばビジネス的に美味しいし、球界も盛り上がるだろうに。」と残念でならない。

プロ野球の無い日、そして伝説の試合から丁度50年目の日という事で、今日は「天覧試合にスタメンとして出場した選手達のその後」を書いてみる事にした。

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【タイガース - 先攻


田中義雄氏(監督)
この年(1959年)でタイガースの監督を退任。1961年~1964年はオリオンズの監督を務める。1985年4月10日に逝去享年78歳。


1番:吉田義男氏(ショート)
1969年にタイガースにて引退。タイガースの監督を3度務め(1975年~1978年、1985年~1987年、1997年~1998年)、1985年にはタイガースを初の日本一に導く。3度目の監督を退任した翌年、新監督となった野村克也氏の下でタイガースは開幕から好調さを見せるが、その際に解説者として訪れていた吉田氏に対してアナウンサーが「タイガースがこれ程迄に強い要因は何でしょうか?」と尋ねた所、「それは(駄目な)監督が変わった事でしょうな。ヘヘヘヘ。」と“捨て身のギャグ”を繰り出した御茶目さが忘れられない。

1989年から1995年迄の7年間、フランスで野球の指導に当たり、ナショナルチームの監督も務めた事から「ムッシュ」の愛称も。75歳の現在も解説者等で活躍。


2番:鎌田実氏(セカンド)
1967年にバファローズに移籍するも、1970年にタイガースに復帰。1972年にタイガースにて引退。引退後はスポーツ用品店経営、バファローズでのコーチ、評論家、少年野球の指導等をされたが、本年2月1日より阪神大学野球連盟神戸大学海事科学部硬式野球部監督に就任。現在70歳。


3番:三宅秀史氏(サード)
1967年、タイガースにて引退。1968年~1971年、同チームでコーチを務めた後、三重県の病院に勤務されていた(いる?)との事。現在75歳。


4番:藤本勝巳氏(ファースト)
島倉千代子さんと結婚されていた事でも有名な彼は、1967年にタイガースで引退。その後はスナックを営んでおられる様だ。現在72歳。


5番:大津淳氏(レフト)
1961年、タイガースにて引退。プロ入りした1955年、「阪神電鉄入社→タイガースに出向」という形を採っていた為、引退後は阪神電鉄に戻られた。現在77歳。


6番:横山光次氏(ライト)
1964年、タイガースにて引退。現在76歳。


7番:並木輝男氏(センター)
1967年、オリオンズに移籍。翌年の1968年、同チームで引退。引退後はスナック経営等をしていたが、1985年~1987年にかけて“ムッシュ”の下、タイガースにて一軍打撃コーチ&一塁コーチを務める。1988年9月1日、突然脳出血に襲われ逝去。享年49歳。


8番:山本哲也氏(キャッチャー)
1964年、タイガースにて引退。タイガースで2度のコーチ(1965年~1967年、1975年~1979年)及びフロント業務を務め、1995年に退職。現在74歳。


9番:小山正明氏(投手)
1964年、「世紀のトレード」でオリオンズに移籍。1972年に同チームで現役引退し、翌年からホエールズの投手コーチに就任するも、チーム事情から現役復帰して「4勝4敗」の成績を残す。この年(1973年)を以て再び引退。

(2度目の)引退以降はタイガースで3度(1974年~1975年、1982年~1983年、1988年))、その他にライオンズ(1990年~1991年)及びホークス(1993年~1994年)でそれぞれ投手コーチを務める。74歳の現在、解説者等で活躍。
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以上がタイガースのスタメン選手だが、天覧試合と言ったら先発・小山投手をリリーフし、結果的には敗戦投手になってしまった“悲運の大投手”村山実氏に触れない訳にはいかないだろう。「4対4」で迎えた9回裏、長嶋茂雄選手にサヨナラホームランを喫した彼は、その後ずっと「あれはホームランじゃなく、ファールだった。」と主張。彼の御子息によると、亡くなられる少し前にも同様の主張をされていたそうで、それだけ勝負に固執していた“ムラさん”は、自分が好きな野球人の一人で在る。スタメンでは無かったが、例外として彼も取り上げさせて貰う。

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9番:村山実(投手)
1972年、タイガースにて引退。タイガースの監督を2度務めた(1970年~1972年、1988年~1989年)他、解説者等でも活躍。(彼の口癖「え~、そうですにぃ。」が忘れられない。

1998年8月22日、直腸にて二代目「ミスタータイガース」は逝去。享年61歳。
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