ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

国民不在の意固地合戦

2010年08月27日 | 時事ネタ関連
来月に行われる民主党代表選挙(9月1日告示、9月14日投開票)に、小沢一郎幹事長出馬意向を表明した。此れで民主党代表選挙は、「再選を目指して出馬の意向を表明している菅直人首相と小沢前幹事長との一騎討ち」の様相呈する事に。

部外者の自分からすると、「国民不在の意固地合戦」という感じがしてならない。菅首相からすれば「『7月の参議院議員選挙で大敗した件で、小沢前幹事長に御詫び詫びに伺いたい。』と自分は言ったのに、小沢前幹事長からは梨の礫だった。」という不快感は在るだろう。党分裂を懸念して間に入った鳩山由紀夫前首相が「挙党一致臨むには、小沢前幹事長を要職据えてはどうか?」と菅首相にアドヴァイスしたが、菅首相は此れを拒否したとも言われている。参議院議員選挙前に「国民の不信を招いたのだから、小沢幹事長は暫く静かにした方が御本人、民主党日本の政治にとって良い。」と言い切った菅首相としては、「此処で小沢前幹事長を要職に据えたら、『菅首相は又ブレた。』とマスメディアや国民からバッシングを受ける。」という懸念も在ったのだろうとは思う。

しかし上記の推測が事実だとしたら、菅首相の意固地さとの浅さを自分は感じてしまう。以前にも書いたが、参議院議員選挙前の「小沢氏は暫く静かにした方が良いという発言」自体は必ずしも間違ってはいないと思うけれど、「小沢氏は全て駄目!」というのは違うと思うから。真に「国民のの政治」を断行するならば、能力の在る人間は適材適所で起用すべき。所謂「小沢派」と称される議員で在っても同様だし、時には野党から逸材を起用する事も在って良いと思う。国政の為には、私的な感情を極限迄排除すべきで在る。

一方の小沢幹事長にも、意固地さを感じてしまう。「小沢一郎及び小沢派の排除」への強い不快感が今回の出馬表明の根底に在るのだろうけれど、から見ていると単なる権力闘争にしか思えない。*1又、「菅首相はマニフェストを守ろうとしない。」という不満も在ると言うが、マニフェストを“寸分違わず”実行しなければならない。」といった小沢氏の主張には違和感覚える。マニフェストを守って実行するのは重要な事なれど、「野党時代に“外部”から考えていたのと、与党の立場で“内部”を見て考えたのとでは違いが出るのは止むを得ない。」と思うし、「経済状況等の変化等も考慮した上でのマニフェストの変更&断念は致し方無い。」と多くの国民が考えているだろうから。国政云々では無く、自身の意固地さを押し通そうとしているだけの様な気がする。

嘗て多くみられた“シャンシャン総会”の如く、実質的に“無風”の代表選挙というのはどうかと思う。でも国民不在の意固地合戦は、真っ平御免だ。小沢前幹事長に対する意固地さから挙党一致体制を拒むのならば、菅首相には「不寛容さ」と「柔軟性の無さ」だけが強く印象付けられるだろう。そして同じく自身の意固地さを押し通し、民主党を分裂させる事になったら、小沢氏には「矢張り『壊し屋(新党を作っては壊すの繰り返し。)』だけの人。」というイメージが決定付けられる事だろう。

*1 代表選挙で菅首相と小沢前幹事長が闘う事になったのを受けて、自民党大島理森幹事長が「コップの中の嵐だ。」と批判していた。全く同感では在るが、「そういったコップの中の嵐を散々続けて来たのは、一体何処の党だったのか?」と言いたくもなる。反省すべき点はきちんと反省出来る谷垣禎一自民党総裁に対して、無反省且つ上から目線で偉そうに語る大島幹事長はどうにも好きになれない。

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