小学校低学年の頃、小っ酷く叱られる様な悪さをした際、父から「御前は、橋の下から拾って来た子。こんな悪さをするなら、橋の下に捨てるぞ!」と言われた事が何度か在る。「本当にそうなのかなあ?」と思ったりして、子供心にショックだった。
実際に目にした事が在る訳では無いのだが、「橋の下に捨てられら赤ちゃん」という情景が、昔はリアルに思い浮かべられる“時代”だったという事なのだろう。今、そんな事を子供に言っても、「橋の下に捨てるなんて、現実感無いよ。“赤ちゃんポスト”が在る時代なのに。」と言われそう。
一昨日報じられたニュースに触れた際、最初に頭に浮かんだのが、「御前は、橋の下から拾って来た子。」という父の言葉だった。「自分の場合は、本当の親だったから良かったけれど・・・。」という思いが在ったからだ。
此のニュースに付いて或る新聞記者が矢張り、「子供の頃、親から『御前は、橋の下から拾って来た子。』と言われた。」というのを前振りとして記されていた。「昔は子供を叱る際の常套句だったけれど、未だに忘れられない人が、他にも居るんだなあ。」と感じた次第。
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「<新生児取り違え>60歳男性『生まれた日に、時間を戻して。』」(11月27日、毎日新聞)
「違う人生が在ったとも思う。生まれた日に、時間を戻して欲しい。」。東京都墨田区の病院で60年前、出生直後に別の新生児と取り違えられ、東京地裁で病院側の賠償責任を認める判決を勝ち取った都内の男性(60歳)が27日、東京・霞が関の司法記者クラブで記者会見し、揺れる思いを吐露した。
男性は1953年3月に出生。13分後に生まれた別の新生児と、産湯に浸かった後に取り違えられ、実母とは違う女性の下に渡された。育った家庭では、2歳の時に戸籍上の父親が死去。育ての母親は生活保護を受け乍ら、男性を含む3人の子を育てた。6畳アパートで家電製品1つ無い生活だったが「母親は特に、(末っ子の)私を可愛がった。」と振り返る。「此の世に生を享けたのは、実の親の御蔭。育ての親も、精一杯可愛がってくれた。」。既に他界した4人の親への感謝を口にした。
男性は、中学卒業と同時に、町工場に就職。自費で定時制の工業高校に通った。今はトラック運転手として働く。
取り違えられたもう一方の新生児は、4人兄弟の「長男」として育ち、不動産会社を経営。実の弟3人は大学卒業後、上場企業に就職した。
兄弟で「長男」だけ容姿が異なる事から、3人の弟が2009年、検査会社にDNA型鑑定を依頼。血縁関係が無い事が確認された。其の直後から実兄捜しが始まり、病院の記録を基に2011年、男性を捜し当てた。
「そんな事在る訳が無い。」。男性は取り違えの可能性を告げられた時、最初は信じられなかった。だが、育ての母親が兄達と足の指の形が違う事に触れ、「誰に似たんだろうね。」と笑ったのを思い出した。
今は実の弟と月に1度飲みに行き、育った家庭の兄の介護をする日々だ。だが、実の両親との再会は叶わなかった。「何も御返し出来なかった。生きて会いたかった。写真を見ると涙が出る。」。
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1970年代にヒットしたTVドラマ「赤いシリーズ」には、赤ちゃんの取り違えを題材にした作品が幾つか在った。又、「産みの親、育ての親」や「貧富の差」、「そして父になる」等、当ブログで過去に取り上げて来た様に、現実にも赤ちゃんの取り違えというのは少なからず在る。
今回のニュース、状況を知れば知る程、心が痛んだ。取り違えられた2人の生育環境が余りにも異なり、「もし取り違えられていなかったら、2人の人生は大きく変わっていたんだろうなあ。」という思いも在るが、共に“育ての親達”から愛情を注がれて育って来た感じがするので、「育ての親や(血の繋がっていない)兄弟との“歴史”が、崩れ去らなければ良いのだが・・・。」と思ったので。
揺れる思いを吐露した件の男性も、「実の親の下で育ったならば、こんなにも苦労しなくて済んだに違い無い。」という思いは在るだろうし、そういう思いを持ったとしても、自分は理解出来る。でも、慈しんで育ててくれた親の事を思うと、恨み言を口にしたくはないだろうし、凄く複雑な思いに在る事だろう。
又、取り違えられたもう1人の男性も可哀想。小さい頃から、3人の弟達との容姿の違いを、表立ってではないにせよ指摘され続けて来ただろうし、悪意からでは無いにせよ、「実の弟」と思って来た3人がDNA型鑑定を申し出たというのは、非常にショックだったろうから。
しかし大人になってから、妹が小学校に入学した時の写真を見た知人に「これはお姉さんのほうの入学式の写真?」と聞かれ、言われてみれば子供時代の私と妹の間に大人になった私の顔を挟めばモーフィングのように私の顔から妹の顔へと移り変わるなと感じました。もっとも、血液型は2人とも同じ型で日本人の0.2%程度しかいない型なので、似ていないと言われたころからまぎれもなく実の姉妹だと思っていましたが。
両親には存命の兄弟姉妹が2人ずついて(他の兄弟姉妹はいずれも胎児もしくは乳幼児のうちに亡くなった)、どちらも「一見似ていない2人の間にもう1人を挟むと共通点がある」という傾向があります。私の顔は向井理氏に似ていると言われたことがあり、この顔立ちはどちらかというと母親の要素が強いのですが、『ゲゲゲの女房』で向井氏の兄弟役を演じた二人の役者さんが、母親の2人の弟の若いころに似ていて、キャスティング担当の人ってすごいなと感じました。
妹が「私は橋の下」と言い始めた時に、私は「産湯に入っている写真も病院でお母さんに抱かれている写真もあるじゃない」と言いましたが、このニュースを聞くと、産褥の写真も必ずしも当てになるわけではないのですね。まあこれはレアケースであって、この病院でも間違いなくおこなわれたケースがほとんどだとは思います。
「実の親の下で育ったならば、こんなにも苦労しなくてすんだに違いない」という思いをこの男性が持ったとしても理解できるし、しかし、育ての親を思うと恨み言を口にしたくはないだろうし、複雑な思いだろうなと私も思います。
もう一方の男性の方も、「本来ならば受けられなかったはずの恵まれた境遇を『実子』として受けられた」ことに感謝しつつも、「実の弟」と思ってきた3人がDNA鑑定を申し出たというのは非常にショックだったでしょう。「『この家の長男』という位置づけになったのは自分の意思でも責任でもない。いまさら何なのだ」という思いを持ったとしても、これも理解できる。
税・社会保障上の家族関係の権利義務の問題は避けて通れませんが、その問題はじっくり話し合って解決し、心情的には葛藤を乗り越えて「8人兄弟」になれれば良いなと思います。
ぷりな様の書き込みを拝読し、母の兄弟の事が思い浮かびました。母は5人兄弟なのですが、其の内の1人が祖父母何方にも似ておらず、幼少の頃より、周りから良く其れを指摘されたそうです。
ぷりな様の妹さんは御自身で「私は橋の下~。」と冗談混じりに言っておられたとの事ですが、心の何処かでは傷付いておられたのではないかなあと思うし、屹度、母の兄弟もそうだったのではないかなあと。
今からウン十年前、母の長姉に初めて会った時、余りにも母に似ている事に驚かされました。しかし今では、そんなに似ているとは思わない。寧ろ、昔は似ていると思わなかった母の次姉が、今は母とそっくりなんです。ぷりな様が書かれている様に、「時の経過」や「間に挟まった人」というのを遠して、似通った部分に気付かされるというのは在るんでしょうね。
「葛藤を乗り越えて、『8人兄弟』になれれば良いなと思います。」という部分(正しくは『7人兄弟』ですね。)、自分も正に「そうなれば良いなあ。」と思っていました。実際問題としては難しいのだろうけれど、「そして父になる」の様に、取り違えが切っ掛けで「2つの家族が1つになる。」というのは、流れとして「良いなあ。」と感じたので。
なんとなくだけど、アナクロな地域の人、老人は使っていそう。でも例えば都会に住んでいる息子が妻子と帰省して、子供が何かした。祖父母ときょうだいが怒って「橋の下から~」と言った。「ドン引き」する息子の妻。翌年以降妻は帰省に同行を何かと理由をつけ渋る…。そんな印象が。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131130-00000542-san-soci
さて、この事件。
ニュースを聞いたときに、大時代的な映画やドラマを連想したのですが、血縁を疑った理由などなんとなく土着的というか…、そういう「介護をやりたがらない子供」って多いと思うし(実際下の世話とか大変ですよ。妻に押し付けて家庭内争議の末離婚とかありがち)、偶然こういう結果になったと思うけど、疑った理由があまりに非科学的かつ前近代的で嫌な感じ。
続報によると、3人の弟達が“長男”のDNA型鑑定を依頼した理由の1つとして、AK様も書かれている様に「長男が、親の面倒を見ないので。」というのが在る様ですね。血が繋がった親子でも、介護が関わって来ると揉め事が起きてしまう物ですから、難しい問題では在ります。