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「共感必至!固定電話在る在るランキング」(6月26日、gooランキング)
2位: 学生時代に異性に電話して、親が出ると気まずかった。(107票)
3位: プッシュ式の固定電話が、とてもハイテクに感じられた。(98票)
4位: 電話に、手作りのカヴァーが掛けられていた。(95票)
5位: コードレスの子機が出た時は、未来が来たと感じた。(87票)
7位: 電話を置く場所は、玄関から直ぐの廊下が一般的だった。(83票)
8位: 電話の会話を、家族に聞かれるのが恥ずかしかった。/黒電話の受話器を強めに置くと、「チン!」と音がした。(82票)
10位:一家に1台が普通だったので、家族がずっと使用していると苛々した。(80票)
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【黒電話】
現代では若い子を中心に、固定電話を置かない人が増えていると聞く。携帯電話が普及した事で、「固定電話が無くても、全く問題無し。使わないのに、固定電話料金を払い続けるのは勿体無い。」という事なのだろう。我が家でも皆が携帯電話を所有し、固定電話を使用する機会は殆ど無いが、「携帯電話が使えなくなった際に備え、固定電話を置いておいた方が良い。」という考えから、今も固定電話を置いている。
“固定電話が無い生活”が、普通になっている人も居る御時世。一定年齢より下の世代では「黒電話って何?」という人も多いだろうし、仮に知っていても、此方に書かれている様に「博物館で見た事が在るから。」というのも珍しく無さそう。
自分の場合、固定電話と言えば、幼い頃に使っていた黒電話の記憶が強烈に在る。ダイヤルを指でジーコジーコと回し、其の戻るスピードの遅さが、とてももどかしかった。
我が家の場合、電話にカヴァーは掛けられていなかったし、家族が長電話する事も無かったので、4位と10位は該当しないが、他の項目には共感を覚える。好意を持っていた女の子から固定電話に電話が在ったり、相手の家の固定電話に電話をした時、家族に会話を聞かれない様に苦慮したっけ。
「固定電話在る在る」と言えば、上で書いた黒電話のダイヤルを回す際のもどかしさ以外では、“固定電話の新機種が出た際のハイテク感”というのは忘れられない。「プッシュ式固定電話の登場。」、「コードレス電話の登場。」、「ICを用いた留守電の登場。」等で、“未来”を感じた物だった。
ところが、このたびの大阪北部地震のとき、携帯電話は通じませんでした。固定電話は通じました。固定電話も必要かなとも思いますが、かんがえものですね。
今回の地震で、携帯電話が不通になったのですね。参考になりました。
東日本大震災時もそういう話を聞き、「殆ど使っていないのに、固定料金を支払い続けるのは勿体無いなあ。」と思いつつ、固定電話を置き続けています。
“普段”は固定電話の必要性を感じませんが、“不測の事態”の事を考えると、外すという決断には踏み切れないでいるというのが実際の所。
このフレーズを思い出しました。
道ならぬ恋へのためらい・・・黒電話のたまらない演出ですね。(笑)
此の歌詞、今ならば「キーを 押そうとして 手を止めた♪」という感じになるのでしょうが、同じ“躊躇”でも、“間(ま)”に大きな違いが出るでしょうね。「ジーコ。」とダイヤルを回し、そして又「ジーコ。」とダイヤルを回そうとして、ふと手を止めた。其の間には、キーを押して行く“間”とは全然違った躊躇を感じるだろうから。
嘗て“煙草”というのは“格好良い大人を表す小道具”でも在り、煙草を取り上げた名曲も少なく無い。でも、禁煙活動が盛んとなった今、「喫煙者=必ずしも格好良い大人では無い。」という感じが在り、歌の中で取り上げられる事も少なくなった。固定電話同様、時代の変化を感じます。