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「夫台所に入り夫婦円満 禁句は『御数これだけ?』」(4月21日付け東京新聞【夕刊】)
夫が料理上手で後片付けもする家庭は夫婦関係が円満。インターネット調査会社「マクロミル」が、20歳以上の既婚女性を対象に実施した調査でこんな実態が明らかになった。調査は4月にネットを通じて実施し、516人から回答を得た。
夫婦関係に付いて「円満。」、「どちらかと言えば円満。」、「どちらかと言えば円満で無い。」、「円満で無い。」の4段階で自己評価して貰い、夫の料理の腕に付いても尋ねた。
「円満。」家庭は39・0%だったが、「夫は料理が得意。」と答えた人だけで見ると、67・6%が「円満。」と回答。一方、「夫は料理が苦手。」の場合、「円満。」は28・9%。
夫が「料理や後片付けをする。」場合は「円満」が48・6%。「殆どしない」家庭は「円満」が31・8%だった。
既婚女性の59・5%は「忙しくても夫に手料理を食べさせたい。」と考えていたが、ほぼ半数が「自分の料理への夫の言葉にカチンと来た。」経験が在ると回答。
カチンときた禁句は「御数これだけ?」がトップ。他に「もう一寸塩を入れた方が良い。」、「味見したの?」等。
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「男子厨房に入らず」という故事が在る。「男は台所に入るものでは無い。」という意味だが、男尊女卑の象徴的な表現として取り上げられる事が多いけれど(大昔、インスタント・ラーメンのCMで「私、作る人。僕、食べる人。」というフレーズが男女差別に当たると物議を醸した事も在ったっけ。)、こちらでも記されている様に「昔の厨房には竈が在り、其処には家を守る『竈の神様』が居る。その竈の神様を祀るのは女性の役割で在り、男性が立ち入ると竈の神様の機嫌を損ね、家に災厄を齎す事になる。」という考えがこの故事の根底には在るという説を、自分も以前何かの本で読んだ事が在る。もしこの説が正しいならば、必ずしも男尊女卑を表した物では無く、寧ろ「神様を祀れるのは『女性』という選ばれた存在だけ。」という意味で、女性の存在を高めていると言えなくも無い。
話が脱線してしまったが、自分の父親の世代辺り迄は「男は台所に入るものでは無い。」といった考え方が一般的に強かった様に思う。でも自分の父親の場合、台所で料理を作るのが結構好きだった。休みの日(昔は週休2日制では無く、「週休1日」乃至は「半ドン+週休1日」がせいぜいだった。)は台所に入り、母親の代わりに料理を作ってくれたりしたもの。当時の男性からすれば、珍しい部類に入ったろう。今は「SMAPxSMAP」等の影響も在り、「料理の出来る男性は格好良い。」という捉え方になっているのだから、時代は変わった物。因に、自分も料理をするのは嫌いじゃない。
夫が料理上手だと家庭が円満な傾向に在るというのは、まあ判らないでも無い。料理って「自分の為に作る。」というよりも、「愛する人間の為に作り、そして喜んで貰いたい。」という気持ちが結構在る様に思うから。愛する人間の気持ちを思い遣り、そして一生懸命料理をするというので在れば、そりゃあ家庭も円満になろう。昔、料理研究家の結城貢氏が「料理は愛情!」と、そして料理人の神田川俊郎氏が「花に水、人に愛、料理は心。」と良く口にしていたけれど、言い得て妙。
「夫台所に入り夫婦円満 禁句は『御数これだけ?』」(4月21日付け東京新聞【夕刊】)
夫が料理上手で後片付けもする家庭は夫婦関係が円満。インターネット調査会社「マクロミル」が、20歳以上の既婚女性を対象に実施した調査でこんな実態が明らかになった。調査は4月にネットを通じて実施し、516人から回答を得た。
夫婦関係に付いて「円満。」、「どちらかと言えば円満。」、「どちらかと言えば円満で無い。」、「円満で無い。」の4段階で自己評価して貰い、夫の料理の腕に付いても尋ねた。
「円満。」家庭は39・0%だったが、「夫は料理が得意。」と答えた人だけで見ると、67・6%が「円満。」と回答。一方、「夫は料理が苦手。」の場合、「円満。」は28・9%。
夫が「料理や後片付けをする。」場合は「円満」が48・6%。「殆どしない」家庭は「円満」が31・8%だった。
既婚女性の59・5%は「忙しくても夫に手料理を食べさせたい。」と考えていたが、ほぼ半数が「自分の料理への夫の言葉にカチンと来た。」経験が在ると回答。
カチンときた禁句は「御数これだけ?」がトップ。他に「もう一寸塩を入れた方が良い。」、「味見したの?」等。
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「男子厨房に入らず」という故事が在る。「男は台所に入るものでは無い。」という意味だが、男尊女卑の象徴的な表現として取り上げられる事が多いけれど(大昔、インスタント・ラーメンのCMで「私、作る人。僕、食べる人。」というフレーズが男女差別に当たると物議を醸した事も在ったっけ。)、こちらでも記されている様に「昔の厨房には竈が在り、其処には家を守る『竈の神様』が居る。その竈の神様を祀るのは女性の役割で在り、男性が立ち入ると竈の神様の機嫌を損ね、家に災厄を齎す事になる。」という考えがこの故事の根底には在るという説を、自分も以前何かの本で読んだ事が在る。もしこの説が正しいならば、必ずしも男尊女卑を表した物では無く、寧ろ「神様を祀れるのは『女性』という選ばれた存在だけ。」という意味で、女性の存在を高めていると言えなくも無い。
話が脱線してしまったが、自分の父親の世代辺り迄は「男は台所に入るものでは無い。」といった考え方が一般的に強かった様に思う。でも自分の父親の場合、台所で料理を作るのが結構好きだった。休みの日(昔は週休2日制では無く、「週休1日」乃至は「半ドン+週休1日」がせいぜいだった。)は台所に入り、母親の代わりに料理を作ってくれたりしたもの。当時の男性からすれば、珍しい部類に入ったろう。今は「SMAPxSMAP」等の影響も在り、「料理の出来る男性は格好良い。」という捉え方になっているのだから、時代は変わった物。因に、自分も料理をするのは嫌いじゃない。
夫が料理上手だと家庭が円満な傾向に在るというのは、まあ判らないでも無い。料理って「自分の為に作る。」というよりも、「愛する人間の為に作り、そして喜んで貰いたい。」という気持ちが結構在る様に思うから。愛する人間の気持ちを思い遣り、そして一生懸命料理をするというので在れば、そりゃあ家庭も円満になろう。昔、料理研究家の結城貢氏が「料理は愛情!」と、そして料理人の神田川俊郎氏が「花に水、人に愛、料理は心。」と良く口にしていたけれど、言い得て妙。
これは何事にも言えるのでしょうが、料理も一寸した一手間で味がグンと変わったりし、それが面白かったりする。それに加えて、供した相手の喜ぶ顔が見れれば、尚更楽しくなる。
高齢の女性を「御嬢さん」と呼び、「僕は本当に『御嬢さん』と思っているから、そう呼んでいるだけ。」と平然と言い放つ、どす黒い顔の人気司会者。「あんな胡散臭い、それもワンパターンなエロ話しかしない人間が何故人気なんだろう?」と自分なぞは不思議でならないのだけれど、高齢者の知人(女性)曰く「世の中には家庭で冗談も言い合わない様な夫婦も居るから、あんなワンパターンなエロ話をするだけでも、『あの人面白い!』って思っちゃう人も多いんだろうね。」と。「成る程。」と思いましたが、今回の件も仰る様に「会話不足」から一寸した事でもカチンと来るという面“も”在るかもしれません。
「おかずこれだけ?」
といわれたら「卵ならすぐ焼けるよ」
といい、
「味が薄かったり濃かったり」
といわれても
(下の息子が私の実家で生活を始め、4人分の夕食→3人分となって調子が狂っているのは事実)
「ちょっと見当がつかんから、ゴメンやで」
で
済ませてしまっています。
この程度のことでカチンとくるというのは、
もっと他に根っこがあるような気がしてなりません。
夫婦で日常的な会話がないとか色々あるようですよね、世間では(苦笑)
ま、私は短時間でちゃちゃっと食事の支度をするほうなので、
評価されたいともなんとも思わないだけなのかもしれないですけど。
雑誌「ダンチュー」創刊以前、漫画「クッキングパパ」連載以前です。
ですから、「男の料理」としては、かなり早い方だと自分では思ってます。
私の料理はあくまで趣味です。他の人がゴルフや釣りをやっているかわりに料理をしているだけです。
料理に関することは全部自分でします。献立作成、材料の買い物、調理、後片付けまで。これ全部私の趣味です。ですから、後片付けを苦痛と感じたことはありません。