教育改革の一環として義務教育6・3制を地域毎に変更出来るという案がまとめられた。義務教育期間の9年というのは変わりないのだが、その分割を従来の小学校6年間、中学校3年間という形に捉われる事なく、市町村の裁量で変更出来るというものである。
学校教育に携わっている訳でもないので、この案の良し悪しを論じられないが、教育現場は迷走しているなというのを感じる。”ゆとり教育”を標榜したと思ったら、1年で”学力向上路線”という旧来の方向へ転換。相対評価から絶対評価への移行も、現場では混乱を来たしていると聞く。
先の年金問題もそうだが、教育問題も将来の人材を育成する大事な事柄である。もっと慎重に、充分論議を尽くして取り組む必要があるのではないだろうか。
教師の側にも問題は多い。大学を出て直ちに”教える立場”に就き、学校という狭い社会で過ごしている為か、一般社会の常識とはかなり乖離した人間が多い気がする。教師の知り合いが多いのだが、彼等は概して常識人だし、一生懸命教育に取り組んでいる。その彼らをしても”先生様”という意識が時折垣間見られるし、社会の常識とずれている部分を感じる事がある。それとなく指摘するのだが、本人達は無意識の内に(悪気がある訳ではなく)、そういった言動をしている様なのだ。新卒で直ぐに現場に立つのではなく、広く世の中を知るという機会も必要なのではないか。一般社会を知るという意味で、民間企業等で一定期間働いた後に、教育現場に立つというのもありだとは思う。
そして、一番の問題は家庭にあると思う。「躾や常識なども学校が教えるべきだ」という親が多いらしい。確かに、団体行動を通じて協調性や思い遣り等を習得する場ではある。だが、1日の内で一番長い時間を過ごすのは家庭であり、躾や常識等という人間形成の根幹をなす部分に付いては、各家庭で行なうべきものだと思う。それを、何でもかんでも学校に押し付けるのは、親としての責任放棄に他ならない。”成熟した”大人を如何に増やして行くか。これも、広い意味での教育改革の重要ファクターであろう。
学校教育に携わっている訳でもないので、この案の良し悪しを論じられないが、教育現場は迷走しているなというのを感じる。”ゆとり教育”を標榜したと思ったら、1年で”学力向上路線”という旧来の方向へ転換。相対評価から絶対評価への移行も、現場では混乱を来たしていると聞く。
先の年金問題もそうだが、教育問題も将来の人材を育成する大事な事柄である。もっと慎重に、充分論議を尽くして取り組む必要があるのではないだろうか。
教師の側にも問題は多い。大学を出て直ちに”教える立場”に就き、学校という狭い社会で過ごしている為か、一般社会の常識とはかなり乖離した人間が多い気がする。教師の知り合いが多いのだが、彼等は概して常識人だし、一生懸命教育に取り組んでいる。その彼らをしても”先生様”という意識が時折垣間見られるし、社会の常識とずれている部分を感じる事がある。それとなく指摘するのだが、本人達は無意識の内に(悪気がある訳ではなく)、そういった言動をしている様なのだ。新卒で直ぐに現場に立つのではなく、広く世の中を知るという機会も必要なのではないか。一般社会を知るという意味で、民間企業等で一定期間働いた後に、教育現場に立つというのもありだとは思う。
そして、一番の問題は家庭にあると思う。「躾や常識なども学校が教えるべきだ」という親が多いらしい。確かに、団体行動を通じて協調性や思い遣り等を習得する場ではある。だが、1日の内で一番長い時間を過ごすのは家庭であり、躾や常識等という人間形成の根幹をなす部分に付いては、各家庭で行なうべきものだと思う。それを、何でもかんでも学校に押し付けるのは、親としての責任放棄に他ならない。”成熟した”大人を如何に増やして行くか。これも、広い意味での教育改革の重要ファクターであろう。
ありましたよね。
イジメを注意している教師がイジメをしてどうすると苦笑いをした記憶が有ります。
広島には特別な事情があるなんて関係有りませんよね。教師はどこに行っても同じ教師な訳ですから。
変な選民意識や思想は持っているのに、人として当たり前の常識がないのが教師としては普通だなんて頭が痛くなります(^-^;
自分の世代(70年前半生まれです)でも悪い事をした時や他人に迷惑をかけた時などに、ちゃんと謝る事の出来る人は少なかったです。誤りを認めなかったり、人のせいにしたり・・・
そのような人が多く親になっている訳だから、家庭で躾をしているつもりでも躾になっていないのでしょうね。
わたくしも人の事を言えた義理ではありませんが
(; ̄▽ ̄A あせあせ (w
親も教師も世の中も戦後の高度成長をひと段落させた今、迷いだらけでいろんなことにチャレンジしている最中で、落ち着いていないのだ思います。
そんな中に変化も多くあるのですが、
なかなか新しいことを受け入れない堅さが日本には根強く残っているのだと思います。
中教審の記事がありましたので、ちょっと考えてみたいと思います。
教員の専門大学院らしきものの構想があるそうです。
大学の教員養成学部では知識のメンばかりで、実践的な指導があまりされていないということで、教員OB
などに指導してもらう。
それと現役教員の指導力アップのための再教育などをおこなうそうです。
あと、教員免許をもっていない社会人も広く受け入れるということです。
いろいろやっていくことはいいことだと思います。
ただ、もっと簡単にできることがあって、教員採用試験に受験基準を設けて、そこに、一般企業での2年以上の経験が必要 と書いてほしい。
本気で教員になりたいと思っている人だけ教員になってほしいですね。公務員と一緒で安定しているからと、目指してほしくないです。そんな人間は要りません。
世間というものを学んで、人の痛みを学んで、それからでも遅くはありません。良い企業で、いっぱいもまれた人が必要だと思います。
その人たちと純粋に子どもたちのためを思っている現職教員がタッグを組んだら、学校は間違いなく良くなるでしょう。
それから、学校現場にカウンセラーが配置されるようになっていますが、勉強ばかりやってきた大学院卒臨床心理士のみなさん、社会勉強してから学校に来てください。よろしくお願いします。
教職員を一般企業で一定期間勤務させるというのは、自分も大賛成です。全部が全部とは言いませんが、大学を出たばかりの新米教師が、いきなり「先生」と呼ばれる世界に入った事で、さも上位に在るのだとばかりに思い上がってしまう事は在ると思うからです。一般企業にも悪い面は多く在りますが、少なくともぺーぺーには社会の常識が叩き込まれます。人を教え導く気高い職業で在るからこそ、教職員は「井の中の蛙」であってはならないと思っています。
人間誰しも安定した道を望みたがるもの。それは判ります。だからこそ、郵政民営化が進行している今、郵便局就職者の志願数が減ったりするんだと。でも、そういった中でも、敢えてその道を突き進みたいという強い意志を持った人間に、自分は頑張って欲しいと思ってしまいます。教職の世界も同じです。決して高みから見下した感覚からではなく、「素晴らしい人間を作り上げて行く」事に半端ではない情熱と誇りを持った人材が教職に多く在って貰いたいです。
ところで、学校現場に配置されているカウンセラーに付いて、一寸気になる記事を見付けました。その事を明日にでも記事にしてみたいと思っておりますので、現場に居られた立場から御意見を賜えると嬉しいです。