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「子供の頃、夏休み中にうんざりしてた事ランキング」(8月21日、gooランキング)
2位: 暑い。[11.6%]
3位: 宿題が多過ぎる。[10.4%]
4位: 宿題が終わらない。[10.1%]
5位: 絵日記に書く事が無い。[9.1%]
7位: 親に宿題を急かされる。[7.1%]
8位: 登校日が在る。[6.6%]
10位:遊び相手が居ない。[3.2%]
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「子供の頃、夏休み中にうんざりしてた事ランキング」、10位内に“宿題関連”の事柄が5つも入っている。子供にとって宿題というのが、如何に嫌な存在かが判る。*1
以前にも書いたが、精神的に追い立てられるのが嫌いな自分の場合、夏休みの宿題は絵日記等一部を除き、夏休みに入って1週間位で全て終わらせる様にしていた。なので、「宿題を終わらせなきゃいけない。」という切迫感からのうんざりというのは無かった。
「大事な夏休みを、1日たりとも無駄にしたくない。」と思っていたので、登校日というのは確かにうんざりさせられた。「給料が手渡しだった時代、夏休み中に先生達が学校に給料を貰いに行かなければならなかったので、其れなら序でに生徒達も呼んでしまえ。」というのが、登校日という制度が始まった理由というのを、昔聞いた事が在る。事実ならば、生徒にとっては良い迷惑。
で、自分が一番うんざりさせられたのは、「絵日記を書かなければいけなかった。」という事。絵を描くのが苦手な上、毎日、書く事が無いというのが、うんざりさせられた理由だ。「今日はXXしました。楽しかったです。」みたいなワンパターンな短文を書き続けるのは、子供心に「アホっぽい。」と感じて嫌だった。と言って、毎日、特筆する様な事も無く、本当に苦労させられたっけ。
*1 随分前、「昆虫採集」を自由研究として提出する子供の為に、完成した乾燥標本が売られているというのを知り、「そんなのが出て来たんだ。」と驚いた。最近では読書感想文やら学習ドリルやらを、(依頼者の子供の)筆跡を真似て代行するビジネスが流行っているらしい。「宿題に割く時間を、塾に行く等、受験勉強の為に回させたい。」という“親心”が、背景に在るそうだが・・・。
受験には役に立たないような勉強がのちのち役に立つことのほうが多いように思うのです。
私は植物採集を親に手伝ってもらってですが、毎年やっていました。親を亡くした今は旅行へ行ったことなどよりも楽しい思い出です。賞ももらいましたが、今となってはどうでもいい。
街の歴史探訪をカメラ持ってやった年もあり、その後に生きました(カメラ趣味と長じて町おこしに関わった際のガイドブック作成に)。
今はラジオ体操も3日ぐらいしか実施しないところも多いようですね。
*コスタリカの博物館の意匠盗作説は正直言って苦しい(あの手の意匠珍しくない。古い意匠を誰も指摘しないのが愉快。札幌五輪にも似てます)。それにしてもやたら出てくるのはよほど私怨、嫉妬を買う人物であったか。実は匿名で叩いている一人を知っています。博報堂元社員で今は地元(私の住む隣町)に帰って親の会社継ぐ予定の40過ぎの男(会社は社員0の家族だけでやってる地場産業の会社)。何かと博報堂元社員を鼻にかけて煙たがられている。やめたのは10年ほど前のはず。未だにモーニング娘のポッキーの宣伝に関わった自慢をするらしい。アホじゃないかと思う。広告会社というのはそういうのの集まりなのか。その男ほどバカではないが地元放送局や新聞社の社員にもどこかそういう傾向あります。
此の年になって熟感じるのは、「世の中に、無駄な知識や体験というのは無い。」という事。勿論、明々白々に違法な行為は論外ですが、そうで無ければ、得た知識や経験というのは、個々人の血肉になると思うのです。直接的な物では無くても、間接的には“人間の幅”となったりするし、そういう意味では「夏休みの宿題=受験勉強の為にならない。」というのは非常に短絡的だし、子供の“人間の幅”を狭めてしまい兼ねない。
自分も、親に宿題を手伝って貰った事が在ります。学習ドリル類は全て自分でしましたが、大の苦手だった図画工作分野は、何度か手伝って貰いました。小学生の時、千切り絵で浮世絵を提出したのですが、結構高い評価を貰いました。でも、殆ど親に手伝って貰った物だったので、ずっと後ろめたさが残った物です。
ラジオ体操、朝早く起きるのは嫌だったけれど、参加した回数に応じて商品(ノード等、学習用品。)が貰えるので、其れが嬉しかったりも。今は、3日位しか行わないケースも在るんですね。時代の変化を感じます。