アジア圏を主戦場にして、営業や新規事業の立ち上げ等にずっと携わって来た。社会人になる迄、海外に行った経験どころか、飛行機に乗った事すら無かった人間なので、海外に関する仕事をするなんて考えてもいなかったが、何の因果か社会人としての出発点は海外営業。
そんな海外の知識なんか皆無に等しい自分に、先輩達は色々アドヴァイスをくれたが、中でも印象深かったのは「海外と日本とでは、大きな違いが幾つも在る。文化の違いが在るのだから当然なのだけれど、そういう事を頭に入れて行動しないと、痛い目に遭う。日本の文化として、嘘を吐く事に大きな躊躇を感じる物だけれど、国によっては『嘘を吐く事に、日本人程躊躇を感じない様な国民性。」が在ったりもする。此れは飽く迄も“概して”という事で在り、全てが皆という訳では無いが、中国の人達は『自分の体面を守る。』という意識が強過ぎて、信じられない様な嘘を吐いたりする事が結構在る。だから、海外、特に中国で仕事をする上では、常に“証拠”を残しておく事が大事。」というアドヴァイスだった。
中国で仕事をする機会は無かったが、中国の人と仕事をする事は結構在った。確かに全てが皆という訳では無いが、日本人の感覚からすると「何でこんな嘘を吐くのだろう?」と思ってしまう事は、少なからず在った。普通ならば言い逃れしないで在ろう“状況証拠”を幾つか突き付けても、“決定的な証拠”が無いと、平気で嘘を吐く人も珍しく無かったし。
先日、「子供を轢き逃げした男性が捕まった。」という報道を目にした。詳細は忘れてしまったが、轢き逃げしたのは其れなりの地位に在る男性で、普通車を運転している時に子供を撥ね、そして逃げた。子供の命に別条が無かったのは、不幸中の幸いだろう。
其の時の様子が街中に設置された防犯カメラにバッチリ録画されており、其れを見ると車の右前部で思いっ切り跳ね飛ばしている。運転していたのは夜間だったのかもしれないが、右ハンドルの車なので、確実に撥ねた瞬間を運転手は見ている状況。なのに、運転していた彼は「撥ねたのは全く気付かなかった。」と言い張り続けていると。認知症等の可能性が在るのならば話は別だが、そういう事でも無い様だ。「兎に角しらばっくれて、罪を免れ様。」という悪質さしか、感じられない事件だった。
昔から、平然と嘘を吐く人間は居る。でも、決定的な証拠は無くても、状況証拠を幾つか提示すれば、嘘を吐き通し続けられる人間となると、少数派だったと思う。でも、最近は、平然と嘘を吐き続けられる人間が増えている様に感じる。
数多くの状況証拠を突き付けられても、「私は全く知らない。“部下”が勝手にした事ではないか?」等と、見苦しい言い訳をして逃げる“理事長”や“監督”、“官僚”等。決定的な証拠は無いのかもしれないが、どう考えても「嘘を吐いている。」としか思えない様な状況証拠の数々を突き付けられても、平然と言い逃れをする。
「組織のトップの人間性を見れば、其の組織が真面かどうか判る。」、「組織というのは、其のトップの“器”以上にはなれない。」といった事を、亡き父が良く言っていた。
嘘を吐いているとしか思えない様な状況証拠を幾つも突き付けられても、「私は全く知らない。」と見苦しく言い張り、そして誤魔化し続ける首相が率いる国では、真面目に生きる事が馬鹿らしくなり、そして平然と嘘を吐く人間が増えて行く事だろう。悪い意味で、“中国化”して行くに違い無い。
「中国化する日本」という本もありましたね。全体の文化を作っているものは、個々の人であって、中国の傲慢さというのは、大国主義に染まり、余りにも広大な版図がある事から来る、内向的な帝国主義だと思います。同じ民族でも、豆粒のような土地しか持たない台湾は、むしろ、日本人に近く、善良な人も多いと思います。地の利に染まり、その大国であり、自分達は強い、という自負が、世界で最も潜在力があり、リスクもある中国という国を作っているのだと思います。これは、戦前の日本も同じでしょう。
関東軍は傲慢かつ強欲に、大陸の東を奪い、その戦争犯罪は、日本が大国になったという自負から来る、「小さな国や小さな人権」の軽視にあったと思います。
なので、「中国化」は、戦前への復古的な反動ではないか、と思います。日本は戦争をしない国になりましたが、現代の戦争とは、経済戦や情報戦を主戦場としており、安部首相の総活躍とか、女性の重視、クールジャパン、というのは、そうした武器を使わない戦争の兵隊、主に個人が主役の情報戦において、国民を統制しようとしているように思うのです。これは、本物の戦争に比べれば、至極安楽なものなので、気づかないのではないでしょうか。ですが、個人が主役となれるSNSといった新たな方法には、爽快感があり、それを必要としている人達も大勢居ますので、どういう位置づけで遊ぶか、という事も考えておく必要があると思います。
身近に外国の友人知人がいるわけではないので、あくまでも推測の域を出ませんが。
日本の場合、狭い国土にほぼ同一民族が暮らしているので、国民性としての思考も似ているだろうから、「嘘をついてもいずれバレて拙い思いをするぐらいなら、いっそ正直に」という、消極的正直者、あるいは小心者が多い、というのが当たっているようにも思います。
それに比べ大陸性の多民族の入り混じった国では、何を考えているか分からない得体のしれない相手に対し、正直であることは身を危険にさらしかねない、という思考が出来上がっているような気がします。
彼らから見ると、日本人は無警戒なお人好しに見えているかもしれないですね。
でも、それも今は昔・・・になりつつあるのかな。
こんな意味での「日本の国際化」はうれしくないですね。
「嘘も方便」と言いますし、大義の為に吐く嘘というのは、個人的に「在り。」だと思います。多くの国民の「幸福」や「安全」が担保出来ると信じて行う事柄等がそうですけれど、「愛国」だ「道徳」だと声高に叫んでいる癖に、遣っている事は自分や御友達を優遇し、国から金を毟り取る事での嘘なのですから、呆れ果ててしまう。
「中国の傲慢さというのは、大国主義に染まり、余りにも広大な版図が在る事から来る、内向的な帝国主義。」、全く同感です。歴史や料理といった面では好きな国だけれど、国民性という点では、中国はロシアと並んで好ましく感じられない国。
「『中国化』は、戦前への復古的な反動ではないか。」というのも、凄く理解出来ます。アジアの国々に対する見下した言動、「日本はこんなに凄いんだ!」的な極端に日本を美化する風潮等、自国に対する劣等感(こんなのを感じる必要は全く無いと思っていますが。)が、裏返しとしてこういう動きを生んでいると思っていますが、其れに加えて「昔は良かった。」的な部分も、こういう人達の中には在るのでしょうね。
日本という国は「“略”同一民族から成立している国(悠々遊様が書かれている様に、飽く迄も“略”という但し書きが付きますが。)という特異性から、他国とは異なる文化が在ったりしますね。陸続きで他国と接していない島国というのも、“侵略”に対する不安面を減じているだろうし。
そういう意味で言えば、日本人って概して御人好しな国民性を有していたとは思いますが、近年は良い意味でのそういう文化が、悪い方向に変わって来ている様に感じます。
上で隆様宛てに書かせて貰いましたけれど、「嘘」も状況によって「吐いて良い嘘」は在ると思うのですが、今、日本に拡散している「嘘」の類は、特定の対象を意図して虐げたり、私利私欲を満たさんが為の物だったりするのが殆どで、「大丈夫か日本!?」という懸念が。