放送作家の鈴木おさむ氏はAERAに「ザ・私聴率」なるコラムを連載しているが、7月6日号のタイトルは「ライバルは居酒屋」。1年程前、或る携帯サイト会社の社長・A氏と彼は話す機会が在り、その際に「近年余りテレビ番組を見なくなったとされる。」所謂「F1層」(20~34歳の女性。)の話に。A氏の会社でF1層に「テレビ番組を見なくなった分、その時間を何に費やしているのか?」のアンケートを行ったそうで、その結果を元にした遣り取り。
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A氏: 「テレビを見ないで遣っている事の第一位、なんだと思います?」
鈴木氏: 「ネット?携帯!?」
A氏: 「テレビの人は、テレビを見なくなった理由をネットや携帯のせいにし過ぎですよ。(うちが行ったF1層へのアンケート結果での第一位は)チェーン店の安い居酒屋で友達と喋ってる。」
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「居酒屋?友達?そんなアナログな理由なの?」と驚いた鈴木氏だったが、良く良く考えてみると「確かに駅前には居酒屋が増えている。居酒屋チェーン店同士の競争は激烈で、営業努力も凄まじく、メニューから店の内装迄かなり知恵が絞られている。値段もこの時代になって、更に安くなっているし。」と思い当った。そして「知り合いの奥さんは子供を幼稚園に迎えに行った帰りに、御母さん同士で昼から遣っている居酒屋に行き、ランチを食べ乍ら喋っているという事実。」も、その後になって発覚したとも。F1層にとって、今や時代はファミレスより居酒屋という事なのだろう。
斯く言う自分も、テレビ番組を見る時間は減ったと思う。(見るのもCS放送等、地上波以外の放送の割合が増えている。)テレビ番組を見なくなった分、インターネットや読書に費やす時間が自分の場合は増えた。だからこそ、F1層では「テレビ番組を見なくなった分、居酒屋で友達と話す時間が増えた。」というのは意外に感じたが、言われてみれば「成る程。」と納得出来る。
「若い女性がテレビ番組を見なくなったのを、インターネットや携帯といった新しいデジタルな文化のせいにして、安心している所が在った。」と鈴木氏はした上で、「だけど、テレビよりもアナログな物が、もっと知恵を絞って闘っていた事に気付いていなかった。」と反省している。そして、同様のケースが私生活にも在ると指摘。例として挙げているのが、「自分が恋人に振られた際の理由付け」。「他に好きな奴が出来たな。」と「相手のせいにする理由」を真っ先に思い浮かべ勝ちだが、本当の理由は「ケチだとか、足が臭いとか、SEXが下手で自分がいってしまうと直ぐに寝てしまうとか。」といった自分自身に起因する理由が多いのではないかと。「駄目な理由は結構、足元に在るものだ。」と彼は文章を結んでいるが、確かにそれは言えるかも。
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A氏: 「テレビを見ないで遣っている事の第一位、なんだと思います?」
鈴木氏: 「ネット?携帯!?」
A氏: 「テレビの人は、テレビを見なくなった理由をネットや携帯のせいにし過ぎですよ。(うちが行ったF1層へのアンケート結果での第一位は)チェーン店の安い居酒屋で友達と喋ってる。」
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「居酒屋?友達?そんなアナログな理由なの?」と驚いた鈴木氏だったが、良く良く考えてみると「確かに駅前には居酒屋が増えている。居酒屋チェーン店同士の競争は激烈で、営業努力も凄まじく、メニューから店の内装迄かなり知恵が絞られている。値段もこの時代になって、更に安くなっているし。」と思い当った。そして「知り合いの奥さんは子供を幼稚園に迎えに行った帰りに、御母さん同士で昼から遣っている居酒屋に行き、ランチを食べ乍ら喋っているという事実。」も、その後になって発覚したとも。F1層にとって、今や時代はファミレスより居酒屋という事なのだろう。
斯く言う自分も、テレビ番組を見る時間は減ったと思う。(見るのもCS放送等、地上波以外の放送の割合が増えている。)テレビ番組を見なくなった分、インターネットや読書に費やす時間が自分の場合は増えた。だからこそ、F1層では「テレビ番組を見なくなった分、居酒屋で友達と話す時間が増えた。」というのは意外に感じたが、言われてみれば「成る程。」と納得出来る。
「若い女性がテレビ番組を見なくなったのを、インターネットや携帯といった新しいデジタルな文化のせいにして、安心している所が在った。」と鈴木氏はした上で、「だけど、テレビよりもアナログな物が、もっと知恵を絞って闘っていた事に気付いていなかった。」と反省している。そして、同様のケースが私生活にも在ると指摘。例として挙げているのが、「自分が恋人に振られた際の理由付け」。「他に好きな奴が出来たな。」と「相手のせいにする理由」を真っ先に思い浮かべ勝ちだが、本当の理由は「ケチだとか、足が臭いとか、SEXが下手で自分がいってしまうと直ぐに寝てしまうとか。」といった自分自身に起因する理由が多いのではないかと。「駄目な理由は結構、足元に在るものだ。」と彼は文章を結んでいるが、確かにそれは言えるかも。
テレビ番組を薄っぺらい娯楽と捉える人が居られても、個々人の考え方には色々在る訳ですから、それはそれで別に問題無いと思いますよ。テレビ大好き人間の自分でも、全てのテレビ番組が好ましい物とは思っていないし、そもそも軽佻浮薄さというのはテレビ番組にとっては褒め言葉みたいな意味合いも在ると思うし。唯、軽佻浮薄で在ったとしても、其処に作り手達の必死さが在るのか否かは重要かと。どう見ても遣っ付け仕事としか思えない様な、安直に過ぎる番組も散見されますし。
元祖テレビっ子の自分ですから、テレビの無い生活というのは考えられない訳ですが、そんな自分でもテレビ番組を見る時間は減っています。今も昔も作り手達(制作者)には強い思いが在るのだろうけれど、見る側からすると“遣っ付け仕事”の様な番組が少なくない様に感じられ、辟易としてしまう。制作費が多ければ、それがイコール質の高い番組とは為り得ないけれど、制作費の切り詰めが叫ばれる様になって以降、芸能人の家族を呼んで歌を歌わせたり漫才をさせたりと、あからさまに遣っ付け仕事と感じてしまう番組が多くなり、「その事でテレビ番組を見なくなった。」とする知人が結構居ます。自分も同感。
見るのは専らノンフィクション系の番組とニュース番組。そのニュース番組ですら、自局が“噛んだ”映画やイベントの宣伝を然も重大事の様に垂れ流しているのですから、全く嫌になります。視聴者は宣伝を見たいのでは無く、ニュースを見たいというのに・・・。
「レストラン→安い居酒屋」
となっていたんですね。
オヤジは
「安い居酒屋→自宅で一杯」となり
CSの巨人戦が結構奮闘しているのも
さもありなんなことだったのですね。