「花の命は短くて苦しき事のみ多かりき」という短詩を好んで色紙に書き、小説「放浪記」等を著した作家・林芙美子女史。社会の底辺で喘ぐ人々に対し、慈しみの目を向けた作品が多い。
其の一方、私生活での彼女には、後輩の原稿が掲載されるのを“裏”で妨害したりと、「人間性に問題在り。」と思われる言動が結構在った様だ。彼女が47歳で亡くなった際、葬儀委員長を務めた川端康成氏が其の弔辞の中で、「故人は、文学的生命を保つ為、他に対して、時には酷い事もしたので在りますが、しかし、後2、3時間もすれば、故人は灰となってしまいます。死は一切の罪悪を消滅させますから、どうか故人を許して貰いたいと思います。」と述べた事からも、彼女の酷い言動が少なく無かった事が判る。「著した作品が素晴らしいからといって、必ずしも其の作家の人間性が素晴らしいとは限らない。」というのを、彼女の逸話から感じたもの。
朝日新聞の「慰安婦記事」に対し、「捏造で在り、謝罪せよ!」と執拗に主張していた作家の百田尚樹氏。常軌を逸する程野卑な言葉を投げ掛けていたが、捏造記事を載せた以上、朝日新聞が非難されるのは当然。唯、其の非難も別の思惑含みからの、其れも「朝日新聞が報じる事は、全て捏造。」といった無根拠な物が結構在るのは、どうかと思っているが。
そんな百田氏が先日、自身のツイッターに「民主党に対する全くのデマ」を記し、其の内容を“拡散”する様に呼び掛けていた事が明らかとなった。「彼だけ朝日新聞の捏造記事を口汚く罵り、『謝罪せよ!』と散々言っていたのだから、普通だったら自身の捏造記事が明らかとなれば、きちんと訂正&謝罪するだろうけれど、彼の場合は妙な言い訳をして誤魔化したり、完全無視を決め込んだりして、謝罪はしないだろうな。」と思っていたら、案の定、「勇み足だった。」だ何だと妙な言い訳をした挙句、謝罪は一切無し。「間接的には間違っていない。」といった趣旨なのだから、呆れ返ってしまう。
自分が「極左」とか「極右」と呼ばれる人達が嫌いなのは、“概して”彼等が身勝手な主張をして許りだから。「他人に対しては異常に厳しい一方で、自分に関しては大甘。自分の誤りは一切認めず、妙な言い訳に終始するといった、潔さが全く感じられない。」のは、人間としてどうかと思う。
「著した作品には良い物が少なく無いけれど、人間性に問題在り。」というのは、百田氏の場合にも言える。自分の場合、「作品は作品、作家は作家。全くの別存在。」と割り切って読んでいるのだけれど。
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高校ボクシング部を舞台に、天才的ボクシング・センスの鏑矢義兵(かぶらや よしへい)、進学コースの秀才・木樽優紀(きたる ゆうき)という2人の少年を軸に、交錯する友情、闘い、挫折、そして栄光。2人を見守る英語教師・高津耀子(たかつ ようこ)、立ちはだかるライヴァル達・・・様々な経験を経て、2人が掴み取った物は!?
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百田尚樹氏の小説「ボックス!」。「ボックス」は「BOX」と記すが、「箱」の意味では無く、「殴り合う」という動詞。ボクシングの試合中、戦意が見られない選手に対して掛けられる言葉で、「闘え!」という意味になる。
子供の頃からボクシングが好きなので、興味深く読む事が出来た。説明調の記述が目立つけれど、ボクシングに関する説明の数々は、ボクシングに全く興味が無い読者をも、ストーリーの中に引き込む事だろう。
天才的なボクシング・センスを持つ鏑矢と、勉強は出来るが生っちょろい木樽という2人を軸にした「青春群像劇」といった感じ。自分の様な凡人にとって、どういう分野で在れ、天才的な能力を持った人間は羨ましい訳だが、「天才には、天才ならではのデメリットが在ったりする。」のだから、此の小説を読んでいて、複雑な思いが在った。
鏑矢及び木樽達の高校時代が描かれた後、最後の6頁は、其の10年後に時代が飛ぶ。2人、そして耀子の“今”に「そうなったんだ・・・。」という驚きを覚えると共に、大好きな映画の1つ「スタンド・バイ・ミー」を見終えた時と同じ、何とも言えないほろ苦さを感じた。
総合評価は、星4つ。