「スーパー!ドラマTV」や「AXN」、「AXNミステリー」、「FOX」といった専門チャンネルを通じて、近年は海外ドラマを見る機会が増えている。我が国同様、過去に大ヒットしたドラマのリメークも目立ったりはするが、ぐいぐいとストーリーに引き込まれて行く作品は少なく無い。
スーパー!ドラマTVで先日迄“再放送”されていたドラマ「生存者たち シーズン2」も、そんな作品の1つだった。1975年~1977年に放送されたオリジナル版を現代版としてリメークした物で、シーズン1は2008年、そしてシーズン2は2010年に、其れ其れイギリスで放送されたのだとか。
先日放送されたのはシーズン2の第6話で、シーズン2の最終回でも在る。「“悪者”が飛行機で逃走するのだが、銃で撃たれ乍らも“悪者”を追って機内に潜む主役の1人の姿が映し出される。」所で終わり、「シーズン3は、どういう展開になるのだろう?」と期待するも、気になって調べたら、どうやら「シーズン2で打ち切り。」という事になった模様。
「視聴率が稼げなければ、番組は打ち切られる。」というのは、別段珍しい話では無い。我が国でも、良く在る話だ。唯、日本と海外を比較した際、明らかに違うのは「海外のドラマはきちんと『結末』を提示しない形で打ち切るケースが少なく無いけれど、日本のドラマの場合は“曲り形にも”『結末』が提示するのが普通。」という点。*1
「近年、『結末』を提示しない形で打ち切られた海外ドラマ。」の“一部”が、此方に紹介されている。「近年、自分(giants-55)が夢中になって見ていて、『結末』を提示しない形で打ち切られた海外ドラマ。」としては、上記した「生存者たち」の他に「V(2009年版)」、「4400 未知からの生還者」、「ALCATRAZ/アルカトラズ」等が在る。
御伽噺「桃太郎」を例に挙げるならば、「桃から生まれた桃太郎が御爺さん&御婆さんに育てられ、鬼退治に向かう事になった。」という所で打ち切られた場合、「其れから、どうなるんだよ!」というフラストレーションが読者に溜まる事だろう。でも、「此の段階で打ち切られる。」のと、「『鬼ヶ島に上陸した桃太郎一行に、数多の鬼達が襲い掛かって来ました。』という所で打ち切られる。」のでは、「何方が読者に、より多くのフラストレーションを与えるか?」となると、其れは後者だと思う。海外ドラマの打ち切りは殆ど後者の類いで、だからこそ憤りも増してしまう。
*1 昨年、オダギリジョー氏が主演のドラマ「家族のうた」が注目を集めた。「余りの低視聴率から、当初予定の全11話を3話短縮し、8話で打ち切られた。」からだ。しかし「打ち切り」とは言うが、話の途中での打ち切りでは無く、曲り形にも「結末」は提示していたと言う。「どういう形で在れ、『結末』は提示すべきだ。」という日本人の生真面目さが、其処には大きく影響している様に感じるのだが・・・。
「海外のドラマって、やけに打ち切りが多いよなあ。」と感じていましたが、今回の記事を書くに当たって色々調べてみた所、思っていた以上に打ち切られている物が多い事を知りました。其の事に付いて、不平&不満を抱いている方も少なく無い事も。
“客商売”という観点から「こういうのは、どうなんだろう?」と感じるのは、日本で放送される時点で当該作品が打ち切られているのを知ってい乍ら、「日本初放送!」とか「超人気ドラマ放送開始!」といった番組宣伝をばんばん流している放送局の姿勢。「『結末』が提示されない儘の打ち切り作品。」というのは、或る意味「不良品」とも言える。不良品で在るのを知ってい乍ら、放送局は「商品の広告」を流している訳で、道義的な面でどうなのかなあという感じがするのです。
spade様が指摘されている番組も、様々な思惑、其れも邪な思惑と言っても良い物が積み重なり、其の不利益が偏に視聴者に被らされているという感じがしますね。全く酷い話です。
映画で主人公(ブルース・リー)が死んでも代役を立てて完成させた死亡遊戯を見習ってほしいです
(読売テレビが日本でのプレミアム試写会を木曜スペシャル生中継して映画解説者の水野はるおが進行役だった気が)
漫画家で作品が打ち切りの時にまだ描きたかった意志が有ったので最後のページにミカンを描いた人が居たらしいです
ミカン=未完
しかし終わって10年ぐらい過ぎたけど続編を描いたと言う話しは耳にしてません
昨年刊行されたミステリーの中で、高く評価された作品の1つに「屍者の帝国」というのが在ります。此の作品は「伊藤計劃氏の長編第4作として刊行される予定だったものの、彼が約2枚のプロットと『試し書き』の冒頭約30枚を残した状態で亡くなってしまった為、円城塔氏が故人の後を引き継いで、3年掛かりで完成させた。」という経緯が在るそうです。
敬愛する漫画家・手塚治虫氏には、「未完」の作品が幾つか在る。「火の鳥」、「バンパイヤ」、「一輝まんだら」、「どついたれ」、「ルードウィヒ・B」、「グリンゴ」、「ネオ・ファウスト」等々。ファンとしては何れも“続き”が読みたく、時には「手塚氏の“魂”を継いだ人が、続編を描いてくれないものか。」という思いが頭を過ったりもするのですが、結論としては「未完の儘がベストなのかも。」と。
「屍者の帝国」の様に高い評価を得られれば良いのですが、概してこういうケースは失敗に終わる事が多そうな気がするので。「読み手の“期待度”が高過ぎて、一寸やそっとの内容じゃあ満足出来ない。」というのが在るのだと思います。