先日「大向こう」という言葉を書きましたが、そこから連想して歌舞伎のサイトを見ていたら
掛け声専門家、というか、アマチュアなんだけれども「同好の士の会」というのがありました。
その昔、桟敷じゃない一番遠い正面の立見席に、毎日陣取って芝居の要所をよく知っていて
ここぞというときに掛け声をくれる、いわば見物客としての玄人のような方々のことを
敬意を表して「大向こう」と言ったのだそうです。 現在でもその「大向こうの会」は
継続されていて、先人たち(役者も観客も)のエピソードが面白く語られています。
「昨日吉右衛門丈の熊谷を観たが、花道の引っ込みの一番大事な締めのセリフ
『十六年は一昔、ああ、夢だ夢だ』というところで、思い切りかぶって『は~り~ま~や~』と
なんとも間の抜けた掛け声が・・・いくらなんでもあれはいけません。
素人さんだろうと女性の方だろうと、果敢に掛けてはほしいのだが・・・」
会話してるときも思いますよね。相手の話を最後まで聞かないで、おっかぶせてしゃべる人が
いると、非常に間の悪い思いをします。
歌についても同じで、説得力のある歌い手は何が良いのかというと、声や見かけも
大事だけれども(プロはね)、結局は「この歌をどう歌い聞かせてくれるか」という
『間』を生来もっているか、会得しているか、ということにかかってくるのです。
言葉のひとつひとつを、どういうタイミングで発して、どこを伸ばしてどこで切るか、
このことに尽きますね。
『間』の良くない人というのは、つまりは全体の流れや空気感が感じられていない
のだと思います。 そうするとリズムも感じられないから、聴いて心地良くもないのです。
歌をどう練習するか、というよりも、演奏の中の空気と時間の流れに耳をすませて
間合いを感じ取れるように、日々の会話や行動の中でもそういうことを気にしているかどうか、で
すべては決まってくるような気がします。