車椅子で卓球@渡邊剛

2013年より車椅子卓球をスタート。備忘録の意もこめてここにブログを綴ります。
内容は基本パラ卓球、時々食文化。

信頼出来ることへの感謝

2018年12月11日 22時55分20秒 | 日記
愛情とはなんだ。



若い頃、「伝達」という言葉を学んだ。

「伝え達する」ことが伝達だというのだ。

ただ伝えるだけではだめ。

それは単なる情報のアウトプットでしかなく、伝えた相手がその情報を理解して初めて「達する」のだという。

なるほどなと思った。



コーチから卓球の指導を受けていて、今まで同じことを度々言われてきた。

一度言われて直ぐに理解できることもあれば、頭では理解できてもなかなか思うように出来ないことも多々ある。

だから、繰り返し言われる。指導を受ける。

でも、指導者がそれを毎回同じことを繰り返し言うのでは、言われる方からすればただ面倒に思えてくるだけになるかもしれないし、ネガティブな思考に陥ることも考えられる(指導を受ける側のモチベーションの問題でもあるけど)。

一度言って伝わらなければ、表現を変えるとか、相手が理解できる手段を考えるべきだと思う。

相手のことを思って伝える。

指導とはそういうものだと考える。

それが「伝達」であり、教育であり、信頼を伴った上下関係というのはそういう土台があって初めて成立するものだと思うのだ。



今日、改めて僕はそれを目の当たりにした。

いや、体感した。



コーチから今までと同じ事をまた言われた。

それがどういうことなのか、なぜ良くないのかは分かるつもりなのだけれど、なかなか上手くできないものなのだ。

決して口には出さないけれど、自分の中でそれを障害のせいにしたりもしていた。

だけど海外のトップ選手はそうじゃないから、それは言い訳でしかないなとも思っている。

でもやっぱり出来ない。

コーチは出来るはずと言ってくれる。

そしてまた今日言われたのだ。

でも、今日はちょっとコーチの表現が違っていた。

するとどうだ!

ついに出来たのだ!

なるほど!そういうことか!と、ようやく自分のものに出来た。

それはコーチが表現を工夫してくれたから。

ただ自分の言葉で言うだけではなく、伝達を繰り返し試みてくれたことの結果だと、その恩恵だと思っている。

そういうところに、コーチのプロフェッショナルさ、指導者としての愛情を感じる。

だからこそ、尊敬できて、コーチの言動を信頼できるのだ。

コーチが、「カラスは白いよね」と言えば、僕は「真っ白です!」と答えられる・・・かもしれない(笑)



「義」とか「仁」とか、そういった感覚はそういう信頼関係の上に構築されるもので、お互いに損得勘定を超えて動ける、動いてもらえる関係を、僕は本当にありがたく思うし、それを続けていきたいと思える、またその為に努力していきたいと思える人に出会えたことは本当に幸せなことだと思う。

なかなかそう思える人はいないものかもしれないけれど、幸いなことに僕はそういった方々と出会える機会がものすごく多い。

それはチャンスなのだ。

でも、チャンスというのはチャンスでしかない。

成功とか目的の達成はその向こう側にあるもの。

チャンスを「もの」に出来るかどうかはあくまでも自分次第。

自分の努力でしかない。

そして、努力に絶対はない。

完璧もない。

報われない努力も多々ある。

でも、成功者は間違いなく努力をしている人。

だから、自分も努力を惜しんではいけない。

努力を惜しまずにやってきたからこそ、伝え達しようとしてくれた方の気持ちが理解できるのかもしれないし、それをものに出来るのかもしれない。



今日ようやく理解できたコーチの指導。

それが出来たのはコーチの気遣いと、自分で言うのもなんだけど、これまでの積み重ねがあったからこそだとも思っている。

一つの扉が開けば、見える景色は案外大きく変わるものだ。

空気そのものが変わり、居心地自体が大きく変わる。

さぁ、もっともっと頑張っていこう。



来週はいよいよ今年最後の海外遠征。

帰国後も忙しい日が続く。

なかなかゆっくりできる日はない。

でも、そんな僕の成長を促してくれる方々が、僕の周りにはたくさんいてくださる。

だから、毎日を楽しく活動できる。



甘えない。

ストイックにいこう。

その向こう側の、ずっとずっと先に求めるものはある。

大丈夫、僕ならやれる。

さぁ、しっかり調整をして、コンディションを整えて、まずは遠征に挑みたい。

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