![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/34/d597aef4d1c9e2747a84d3ab9a5cd512.jpg)
下手でも数を撃てば的に当てられるという有名な格言?だけど、果たしてそれでいいの?と思う瞬間がある。
子供の頃に覚えたこの言葉、その意味は「下手でも撃ちまくれば(乱射していれば)そのうち何発かは的に当たる」という意味だと捉えていた。
先日も練習のことを考えていてふと思った。
数撃つだけのコストは?費用対効果は?外した弾のリスクヘッジは?と考えてしまう(笑)
だから、その考え方には一概に賛成できない。
僕はそういう選択はしたくない。
がしかし、数撃たなければ得られないものがあるのも分かる。
それは、狙った的に当てるという技術。
だから、同じ数を撃つにしても、ただ的に当てるために撃つのか、当てるための技術を得るために撃つのかではそもそもの目的が大きく違っているし、同じ数を撃っても結果的に得られるものが大きく異なってくると思うのだ。
ということは、「下手な鉄砲数撃ちゃ当たる」の意味は、「上手く当てられるようになるまで数を撃って鍛錬を重ねなさい」という意味なのだとこの歳になって気づく(笑)
うん、解釈の仕方ということか。
法と同じだな。
言葉の難しさよ(笑)
的に当てるために数を撃つのはきっと楽しい。
当たらなければストレスが重なっていくかもしれないけど(笑)、何も考えずにただ的に当たるように撃ち続けるのはきっと遊び感覚で楽しいと思う。
でも、技術を得るために撃つとなるとそれは全然違ってくる。
より細かく、考えながら、集中して、慎重に、一発撃った次は前よりも成長している必要がある。
誰かの指導を受けながらとなると思うようにいかないストレスはさらに増すかもしれないし、悪い部分、良くない部分を指摘されるのはありがたいことだけど打ちひしがれたりするポイントにもなり得るから、そこには指導者の理解や協力が必要になるのだけど、果たしてそういう指導者に恵まれるかどうかは相性もあるからある意味運次第となるのかもしれない。
いずれにしても多角的に考えることがあって思うほど簡単じゃないのが技術を得るための数撃ち。
自分が何の為に的を狙って当てようとするのか、まずはその理解が必要。
それによって選択肢は異なるし、それを違えば失うものも時間も、そして後悔も、大きなものになる。
下手な鉄砲は何のために数を撃つのか、が大切だと思う。
その判断を誤りたくはない。
練習を繰り返していて、「楽しいなぁ」と思う練習って案外自分が楽しんでいるだけで、果たしてそれがちゃんと身になっているのかというと疑問符が付くケースもある。
いや、例えその内容がどうあれ練習を繰り返すことで積み重なるものは確実に存在すると思う。
けれど、僕が重要視するのは効率の問題。
ある目標に向かって同じ練習をするのであれば、より効率的な方が良い。
逆に、その目的にたどり着くためならば、敢えて遠回りした方が良いというルートの選択も僕は惜しまないつもり。
目的がはっきりしているから、と言えば聞こえがいいかな?(笑)
ケチな性格なので時間を含むコストを効率的に使いたいということなのかもしれない(笑)
そもそも、「楽しい」と「楽しむ」ということは全く違うことだと考える。
辛く厳しい練習でもそれを「楽しむ」ことが出来れば、より効率的に積み重ねていくことが出来るはず。
逆に、「楽しい」ことだけを選択していたのでは、そりゃぁ楽しい人生を送れるかもしれないけど、気が付いたときに「あれ?なんでここにいるんだっけ?」と自分の人生の立ち位置に不安を覚えることになりかねない。
ん?
話が逸れてきた?(笑)
とにかく、目的をしっかり見据えたうえで、その道を自分が胸を張って威風堂々と進んでいけるように心がけていたい。
すると、鉄砲が下手であってもむやみに乱射することない穏やかない人生というか効率的で確実な成長を果たしていけると思う。
でも、数撃たなければ得られないものの存在も明らかなので、自分勝手になるのではなく、しっかりと良識を弁えた上で鍛錬を積み重ねていかなければならない。
と、言うのは簡単(笑)
大切なのはそれを実行し、結果を得ること。
何にしたって一回やってポンと大きく積みあがるものではなく、自分でも分からない程度にしか積みあがっていかないものだから、それを我慢強くコツコツと重ねていくしかないのだと思う。
一か八か、のるかそるか的な発想と結果を求めることはまさにギャンブルで、そこに期待するのはスポーツ活動においては違ったものの考え方だと僕は思う。
物理的に一足飛びをやろうとしても、それはドーピング違反的なことと同じで、ルールに反する行為にもなりかねないし、その発想自体もしかしたらスポーツマンシップに反することになるのかもしれない。
とにかく、下手なうちは下手なりに数を撃ち続けて上達するよう鍛錬を積み重ねていくしかない。
間違っても乱射はしない(笑)
それをしちゃうと、多分身体を壊す。怪我をする。故障する。
そして、自分以外の人にも迷惑をかけてしまう。
逆に、数を撃つだけの練習が出来るのであれば、それは幸いなことではないか。
もしそれが無いのであれば、探せばいい。
あるいは、自分で工夫して作ることだって出来るかもしれない。
今目の前に見える景色はどこに行っても同じ景色ではない。
自分がそこに立ち続けるから同じ景色しか見えないだけ。
自分が立ち位置を変えれば、それに応じて違った景色が見えるようになる。
同じものでも見方を変えれば違った形に見えるもの。
人に景色を動かしてもらおうとか、あるいは人に自分を動かしてもらおうとか、そんな考えがどういう結果を招くかは想像に難くない。
全ては自分次第なんだと思う。
なんて偉そうに語るお前はどうなんだ?と自分に問う(笑)
はい、粛々と、日々精進してまいる所存でございます(笑)
数を撃つからこそ得られるものがある。
だからこそ、一発一発を考えながらじっくり集中して、毎日打っていかなければと思う。
でもオフも大切にする。
それもコンディショニング。
とコーチからも厳しく言われている(笑)
そんな僕はまさに、下手の横好き(笑)
子供の頃に覚えたこの言葉、その意味は「下手でも撃ちまくれば(乱射していれば)そのうち何発かは的に当たる」という意味だと捉えていた。
先日も練習のことを考えていてふと思った。
数撃つだけのコストは?費用対効果は?外した弾のリスクヘッジは?と考えてしまう(笑)
だから、その考え方には一概に賛成できない。
僕はそういう選択はしたくない。
がしかし、数撃たなければ得られないものがあるのも分かる。
それは、狙った的に当てるという技術。
だから、同じ数を撃つにしても、ただ的に当てるために撃つのか、当てるための技術を得るために撃つのかではそもそもの目的が大きく違っているし、同じ数を撃っても結果的に得られるものが大きく異なってくると思うのだ。
ということは、「下手な鉄砲数撃ちゃ当たる」の意味は、「上手く当てられるようになるまで数を撃って鍛錬を重ねなさい」という意味なのだとこの歳になって気づく(笑)
うん、解釈の仕方ということか。
法と同じだな。
言葉の難しさよ(笑)
的に当てるために数を撃つのはきっと楽しい。
当たらなければストレスが重なっていくかもしれないけど(笑)、何も考えずにただ的に当たるように撃ち続けるのはきっと遊び感覚で楽しいと思う。
でも、技術を得るために撃つとなるとそれは全然違ってくる。
より細かく、考えながら、集中して、慎重に、一発撃った次は前よりも成長している必要がある。
誰かの指導を受けながらとなると思うようにいかないストレスはさらに増すかもしれないし、悪い部分、良くない部分を指摘されるのはありがたいことだけど打ちひしがれたりするポイントにもなり得るから、そこには指導者の理解や協力が必要になるのだけど、果たしてそういう指導者に恵まれるかどうかは相性もあるからある意味運次第となるのかもしれない。
いずれにしても多角的に考えることがあって思うほど簡単じゃないのが技術を得るための数撃ち。
自分が何の為に的を狙って当てようとするのか、まずはその理解が必要。
それによって選択肢は異なるし、それを違えば失うものも時間も、そして後悔も、大きなものになる。
下手な鉄砲は何のために数を撃つのか、が大切だと思う。
その判断を誤りたくはない。
練習を繰り返していて、「楽しいなぁ」と思う練習って案外自分が楽しんでいるだけで、果たしてそれがちゃんと身になっているのかというと疑問符が付くケースもある。
いや、例えその内容がどうあれ練習を繰り返すことで積み重なるものは確実に存在すると思う。
けれど、僕が重要視するのは効率の問題。
ある目標に向かって同じ練習をするのであれば、より効率的な方が良い。
逆に、その目的にたどり着くためならば、敢えて遠回りした方が良いというルートの選択も僕は惜しまないつもり。
目的がはっきりしているから、と言えば聞こえがいいかな?(笑)
ケチな性格なので時間を含むコストを効率的に使いたいということなのかもしれない(笑)
そもそも、「楽しい」と「楽しむ」ということは全く違うことだと考える。
辛く厳しい練習でもそれを「楽しむ」ことが出来れば、より効率的に積み重ねていくことが出来るはず。
逆に、「楽しい」ことだけを選択していたのでは、そりゃぁ楽しい人生を送れるかもしれないけど、気が付いたときに「あれ?なんでここにいるんだっけ?」と自分の人生の立ち位置に不安を覚えることになりかねない。
ん?
話が逸れてきた?(笑)
とにかく、目的をしっかり見据えたうえで、その道を自分が胸を張って威風堂々と進んでいけるように心がけていたい。
すると、鉄砲が下手であってもむやみに乱射することない穏やかない人生というか効率的で確実な成長を果たしていけると思う。
でも、数撃たなければ得られないものの存在も明らかなので、自分勝手になるのではなく、しっかりと良識を弁えた上で鍛錬を積み重ねていかなければならない。
と、言うのは簡単(笑)
大切なのはそれを実行し、結果を得ること。
何にしたって一回やってポンと大きく積みあがるものではなく、自分でも分からない程度にしか積みあがっていかないものだから、それを我慢強くコツコツと重ねていくしかないのだと思う。
一か八か、のるかそるか的な発想と結果を求めることはまさにギャンブルで、そこに期待するのはスポーツ活動においては違ったものの考え方だと僕は思う。
物理的に一足飛びをやろうとしても、それはドーピング違反的なことと同じで、ルールに反する行為にもなりかねないし、その発想自体もしかしたらスポーツマンシップに反することになるのかもしれない。
とにかく、下手なうちは下手なりに数を撃ち続けて上達するよう鍛錬を積み重ねていくしかない。
間違っても乱射はしない(笑)
それをしちゃうと、多分身体を壊す。怪我をする。故障する。
そして、自分以外の人にも迷惑をかけてしまう。
逆に、数を撃つだけの練習が出来るのであれば、それは幸いなことではないか。
もしそれが無いのであれば、探せばいい。
あるいは、自分で工夫して作ることだって出来るかもしれない。
今目の前に見える景色はどこに行っても同じ景色ではない。
自分がそこに立ち続けるから同じ景色しか見えないだけ。
自分が立ち位置を変えれば、それに応じて違った景色が見えるようになる。
同じものでも見方を変えれば違った形に見えるもの。
人に景色を動かしてもらおうとか、あるいは人に自分を動かしてもらおうとか、そんな考えがどういう結果を招くかは想像に難くない。
全ては自分次第なんだと思う。
なんて偉そうに語るお前はどうなんだ?と自分に問う(笑)
はい、粛々と、日々精進してまいる所存でございます(笑)
数を撃つからこそ得られるものがある。
だからこそ、一発一発を考えながらじっくり集中して、毎日打っていかなければと思う。
でもオフも大切にする。
それもコンディショニング。
とコーチからも厳しく言われている(笑)
そんな僕はまさに、下手の横好き(笑)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます