
仕事の休みが取れたので、隣市にある県立の陶磁美術館へ。

写真はOKだとのこと。
QRコードを読み取ると、3D映像で裏側まで見られる仕組みまであった。
美術館は悲しいほどガラガラで、他の人に配慮する心配もなく、写真をいくつか撮ることができた。
大阪府南部。
仁徳天皇陵のある、百舌鳥・古市古墳群。
その近くにあったのが「陶邑窯(すえむらよう)」だ。大和政権の傘下で須恵器を量産していた。
朝鮮半島は高句麗、新羅、百済の時代。日本からは遣隋使、遣唐使が送られていた頃のことだ。

蓋物、高台、口のデザイン、銅のデザイン、模様など。朝鮮や中国の文化を必死に学んで、作っていったのがよくわかる。
当時の産業の最先端だったこの「陶邑窯」が8世紀に急速に衰退し、代わって、地方窯だった当地の「猿投窯」が日本一のやきもの産地として台頭した。

「猿投窯」の特徴は、釉薬。
厚くかかった灰釉が好評を得た後は、緑釉も取り入れて、「猿投窯」の時代が幕を開けた。ということがわかった。
一つ一つの焼き物をゆっくり見ながら、作った人がどんな道具を使い、細かい模様を刻んでいったのだろうと想いを馳せる。
「作らずにはいられなかった」という情熱を感じたり。
「親方に叱られながら、スキルを上げていったのだろうな」と想像したり。
「この器には、どんな料理を盛り付けて食べたのだろう」と思い浮かべたり。

静かな美術館の中で流れる時間を楽しむことができた。

広い美術館の敷地の一角には、復元した古窯も展示してあった。
いにしえの職人たちは、こんなところで器を焼いたのだ。
どんな気持ちで焼いていたのかな。
先程ガラス越しに見た須恵器たちが、ぐっと身近に感じられた。

日常を離れた静かな時間に心が癒された一日だった。
