川崎市で、スクールバスの子どもが襲われるという事件が起きた。
弱いものを狙って襲う、という卑劣さ。
小さい子どもや優しい大人が命を落としたり、怪我をしたりしたとは、悲しくて言葉もない。
朝、登校の見守りを近所の集合場所でしているのだが、以前やっていたが今はやめている人が「やはり心配になって」とまた始められた。
自分のようなおばさんが、黄色いベストを着て一緒にいるだけで、抑止効果などあるだろうか、と無力感に襲われる。でもいないよりはいいか、と思い直したりもする。
大人たちは、君たち子どもことを、必死で守ろうと思ってるよ。
「君たちのことは私たちが守るから、安心して大きくなりなさい」と子どもたちに伝えたい。
一方で仕事柄、犯人のこれまで生きてきた様子も、とても気になっている。
今、私の目の前で、生き辛さを抱えている子どもの姿。
この子たちが大人になるまでに、やってやれる事はあるか。
完璧でなくても、何とか少しでも身につけてほしいものは何か。
人と多少違ってもいいのだ。
「とんがっているもの」を「味わい」に変えていくにはどうしたらよいのだろう。
かわいそうがる。
批判する。
それだけではいけない。
もっと考えよう。行動しよう。