石川啄木(1886~1912)岩手県生まれ。曹洞宗住職の息子。盛岡中学を退学処分。「明星」に詩を発表、天才少年詩人といわれたが、小学校代用教員、地方紙記者などを転々、苦しい暮らしを支えた。08年に上京し、はじめは小説、のちは短歌に新境地をひらこうと苦闘した。大逆事件を機に社会主義に関心をもって評論を発表したが、肺結核にたおれた。享年26歳
いたく錆(さ)びしピストル出(い)でぬ
砂山(すなやま)の
砂を指もて掘(ほ)りてありしに
いのちなき砂のかなしさよ
さらさらと
握(にぎ)れば指のあひだより落つ
たはむれに母を背負(せお)ひて
そのあまり軽(かろ)きに泣きて
三歩あゆまず
いたく錆(さ)びしピストル出(い)でぬ
砂山(すなやま)の
砂を指もて掘(ほ)りてありしに
いのちなき砂のかなしさよ
さらさらと
握(にぎ)れば指のあひだより落つ
たはむれに母を背負(せお)ひて
そのあまり軽(かろ)きに泣きて
三歩あゆまず