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「マインドフルネス」は、日本でも仕事に効く瞑想(めいそう)法としてブームになっている。その震源は世界的IT企業グーグルにある。2007年、グーグルはリーダーシップや集中力を高めるためのマインドフルネスプログラム「サーチ・インサイド・ユアセルフ(以下、SIY)」の開発に着手した。SIYは2009年より実施され、基本的なプログラムは2日間の集中研修プラス4~7週間の実践フォローアップからなる。今やグーグル内で1万人が受ける人気講座に成長し、グーグル以外でもマイクロソフト、SAP、エトナなど大手企業に採用され、世界中で3万人以上が受講している。ビジネスパーソン向けのマインドフルネスプログラムのなかでは世界最大規模を誇る。日本でも2014年より一般向けにプログラムが実施されている。
このSIYを作り上げたのは、グーグル107番目の社員で、IQ156の天才エンジニアだったチャディー・メン・タン氏。メン・タン氏は1970年、シンガポールに生まれ、子供時代から、プログラミングのコンテストで、賞を総ナメしてきた。しかし、コンプレックスや生きづらさに苦しみ、21歳のときに仏教と瞑想に出合ったという。2015年にグーグルを退社し、SIYの普及に取り組んでいるメン・タン氏になぜSIYを作ったのかを訊いた。
■究極の目的は世界平和
――どのようなきっかけでグーグルでマインドフルネスをSIYに高めていかれたのでしょうか?
メン・タンもともとの目的はとてもシンプルなんです。私がやりたかったのは、世界平和のための条件を整えることでした。そして、3つのスキル「内なる平和・内なるJOY(喜び)・コンパッション(深い思いやり)」を世界に広められれば、世界平和に通じる道が開けると考えたのです。そして、私が知りうる限りで最も有効な普及法は、「平和・JOY・コンパッション」を「成功と利益」と結びつけることでした。
――立派なお題目を掲げるだけでは、共感を集められない。そこで、ビジネスにおける成功や利益と結びつけることにしたんですね。
メン・タンそうです。私は最初から「世界平和」と「成功と利益」の両方をマインドフルネスの行く先として掲げました。マインドフルネスを実践して成功したら、世界平和だって悪くないと思うでしょ(笑)。
まず、「成功と利益」と深い関係があることがわかっていたEQ(情動知能)に注目しました。そして、EQとマインドフルネスを結びつけることにしたんです。でも、最初は結びつけ方がわからなかった。そこで、EQの専門家ダニエル・ゴールドマンなど多くの学者と相談して、両者を結びつける方法を模索し、SIYを開発していったのです。
――SIYを誰もが参加でき、実践できる方法に高めるにあたって、どのような配慮をされましたか?
メン・タン4つのことに留意しました。第一に一般の人がわかるような、的確な言葉遣いを目指しました。たとえば、「感情に深く入って……」というような、ふわふわした修飾を含む言い方は決してしないようにしました。なぜなら、エンジニアたちは「浅い、深いってどういうこと?わからない。どうやって計測するの?」という反応をするはずだからです。その代わりに「解像度の高い認知力を創り、それを使って自分の感情のプロセスを観察して……」というような的確な表現に言い換えていきました。
2つ目は科学です。すべての議論が科学的に説明できるよう心がけました。猜疑(さいぎ)心を持っている人に、「これをやったら、脳の前頭前野が
訓練されて、こうなることが予測される」と伝えれば、「なるほど」と理解してもらえます。
3つ目は多様性です。現実社会に即した多様な場で実践できることが必要です。たとえば、SIYでも伝えている共感の実践法は会議の場でも効果的に行えます。それをやることで短期的にはその会議がうまく行くし、長期的には周りの人から、あなたに成功してほしいと望まれ、サポートを得られるようになって、リーダーとしての成功につながります。
4つ目は、現代の忙しいビジネスパーソンに最適な実践法を開発することです。昔はマインドフルネスはフルタイムで何年も修行して身につけるものでしたが、現代のわれわれにとっては、そのやり方は現実的でありません。そこで瞑想を集中的に行い、短時間で終えられる方法を編み出すことにしました。1呼吸、2呼吸、1分間、と短時間でも1時間の瞑想に匹敵させることは可能ではないか、と考えたのです。
グーグルはストレスだらけ
――メン・タンさんが開発したSIYとマインドフルネスの核をなす「瞑想」は、仏教で長い時間をかけて洗練されてきた方法だと言われています。マインドフルネスと仏教の関係を教えてください。
メン・タンその質問に答えるためには、「仏教とは何か」というもう一つの重要な質問に答えなければなりません。宗教なのか、哲学なのか。実はそのいずれでもありません。「あなたの教えは何ですか」と訊(き)かれ、ブッダは「私の教えは苦しみについて、そして苦しみからの解放についてのものです」と答えました。ブッダの教えは、それがすべてです。その観点からみると、仏教で苦しみをなくすための主たる実践がマインドフルネスだといえます。マインドフルネスはブッダの実践されたことのあらゆることに入っています。原始仏教の書物で、マインドフルネスは塩に譬(たと)えられています。塩はあらゆる料理に入っているからです。
――それでは、宗教としての仏教というよりも、宗教になる以前の仏教が目指していた目的に到達しようとしているのですか?
メン・タンまったくその通りです。私の目標はこの世にあるすべての苦しみを終わりにすることです。ちっちゃな夢でしょ?
どんな変化が起きるのか?
――マインドフルネスを取り入れた人々には、どのような変化が起きるのでしょうか?
メン・タン仕事上でよく聞くのは、SIYのおかげで昇格したという報告です。より高度な難しい仕事に取り組めるようになった、SIYで学んだスキルを使って、心をクリアにして難解なエンジニアリングの問題が解決できた、という報告も受けます。ある男性はSIYを受けて、自分が働きすぎだとつくづく感じて、週5日から週4日のパートタイムに変更しました。でも、何と彼は働く時間を減らした後で昇格されました。つまり、より短い労働時間で、より効果的に働けるようになった、ということです。上司から昇格を告げられたとき、長時間労働に戻るのはいやなので、断ったのですが、パートタイムのままでいい、という条件で承諾したそうです(笑)。
家庭生活が変わったという報告も多いですね。奥さんから、夫が別人のように優しくなった、という報告を何度か聞きました。
また、ある女性はいつも体調が不安定だったのですが、SIYを受けて、その理由が自分の感情を抑圧しているからだと気づき、自分の感情と
健全に向き合う方法を学んで、体調が良くなったそうです。
――世界最先端の企業が集中するシリコンバレーがある西海岸から、2500年もの長い歴史を持つ仏教の叡智(えいち)をベースとした「マインドフルネス」が花開き、発信されていることは、非常に興味深いと思いました。なぜそのようなことが起きたのでしょうか?
メン・タン背景として2つと半分の要素があります。まず、シリコンバレーの成功は一言でいうと「歴史上、誰もやらなかったことを実現する。しかも次から次に」という精神からもたらされました。これは1970年代のメモリーチップ、マイクロプロセッサーの発明から続いています。ここで起こったことは、その前には誰もやらなかったことです。そのため、シリコンバレーの人々は特別なマインドセットを持っています。それは新しいことにトライする、オープンな心です。それが第一の要素です。その心ゆえに、シリコンバレーの人々は、怪しげなもの、ヘンなことに慣れていて、それらを毛嫌いしません。マインドフルネスのような瞑想にしても、初めは怪しげなものだったわけですが、オープンな心の恩恵を受けられました。
でも、それより以前に第2の要素として、シリコンバレーの結果主義があります。マインドフルネスにしても、効果があれば、こだわらずに実践する。つまり、まずは結果主義があって、そこにオープンな態度が相俟(あいま)って、マインドフルネスは広まっていったのです。
もう1つの半分の要素は、先ほども述べましたが、ここの人々がストレスいっぱいであることです。かつて達成されなかったことを達成するには、必ず失敗があります。シリコンバレーだけでなく、全米のベンチャーキャピタルの出資による会社で成功するのはわずか9%といわれています。その結果、多くの挫折、ストレス、苦しみがシリコンバレーにはあります。