北の旅人

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1956-「14歳の心象風景」<37>

2010-01-21 09:53:30 | Weblog

<作文>

           新しい年を迎えて

                         (K・T)

ラジオから除夜の鐘が聞こえて新しい年が来た。母さんや父さんは「今年は良い年だったよ」と話していた。昭和31年もすぎて、新しい昭和33年がきたのだ。

除夜の鐘を、みんなは感慨ぶかげな顔をしてきいていた。みんな、だまってきいている。私も何もいわないで机にもたれながらきいた。私は除夜の鐘をきいて、「いよいよ私も三年生になる年だな」と、なんとなく自分に責任のある年のように思った。

私が母に、「月日のたつのは早いね」といったら、「ほんとうに仕事におわれているうちに、もう1年たったんだものね」と、母さんも過ぎ去った日を思い出すようにいった。

除夜の鐘をきいてから、お兄ちゃんが井戸から若水をくんできた。そうして神様に上げた。大きい人は夜ふかしをした。みんなで去年のことや、これからのことを話したりしていたので、時間のたつのは早かった。

Aさんのおじさんもきて、カルタとりをした。Aさんのおじさんは、「乙女の姿」と読む時は、特ちょうがあるので、みんなを笑わした。カルタもあきて、みんなでみかんを食べている時に、母さんが、「今年も、みんな病気をしなかったらいいんだけれどねえ。母さんが働いて、みんなに服の1枚で作ってやるさ」と、顔をほころばせていった。

私は母さんも、あんなにはりきっているし、今年もいい年あるようにと心 にいのった。そして、私も今年は三年生になるし、あと中学校も1年しかないのだから、のこった1年を楽しくすごせるように、又今年こそは勉強にがんばろうと心にちかった。

      ☆         ☆

子どものころの年越しは、おおよそこんな具合だった。我が家では、餅つきがあり、昼ごろから近所の人たちが来て、何人かで交代しながらやっていたので、賑やかだった。

大人たちは、酒を飲みながら年越しをしていた。兄弟姉妹が6人だったから、結構多くの餅をついた。餅はあまり好きではなかったが、つきたては、やはり美味かったので、2~3個食べた。

ラジオで紅白歌合戦を聴いて、除夜の鐘を聴いて新年を迎えるのが通例だった。今年はどうだったかを反省し、新しい年は「頑張るぞ!」と思いながら過ごしたものだ。今は、特別なことはしない。

紅白歌合戦などというのも、実力がない歌手や、歌と言えないような、ただうるさいだけの若者たちが出てくるので、興味がない。もっと、好い歌を聴かせるべきだと思うが、制作者の意図が分からないような番組になっている。

そのことは、視聴率が年々下がっていることが証明している。そろそろ、発想を転換し、質の良い番組づくりを考えるべき時にきている。