北の旅人

旅行や、ちょっといい話などを。そして、時には言いたいことを、ひとこと。

2013「にっぽん丸」で、GW日本一周⑧ー佐渡島

2013-06-17 13:35:54 | Weblog

7日目、朱鷺のいる島・佐渡へ。
両津港へ9:00入港。通船にて上陸。(10分) オプショナルツアーに参加して「トキの森公園」を訪れる。特別天然記念物であり、国際保護鳥でもある。ここには、「トキ資料展示館」「トキふれあいプラザ」がある。トキの飛翔、巣づくり、採餌など、トキの生態を観察することができる。

根本寺(日蓮宗)。山号を塚原山と号す。

文5永8年(1271)、鎌倉竜の口の法難=日蓮大聖人が、鎌倉幕府の実力者・平左衛門尉(へいのさえもんのじょう)によって、刑場で斬首されようとした事件)=を免れた日蓮上人は、当時、死人の捨て場とされていた塚原の三味堂に入れられた。(50歳)このあばらやで他宗の僧と「塚原問答」をたたかわせ「開目抄」を著した。

佐渡歴史伝説館。佐渡ゆかりの事物に出会える面白ミュージアム。佐渡に配流された、順徳天皇、日蓮聖人、世阿弥などの動く人形、ジオラマなどは、一見に値する。

順徳天皇(鎌倉時代 1220年配流)。佐渡で生まれた順徳天皇第一皇女けい子女王。畑野に女王を祀る一宮神社がある。

日蓮聖人。一間四方の寒風吹きすさぶ塚原の草堂で寒さと飢えに耐えながら、つめかけた諸宗の僧たちと激しい法論を交わしたという。

世阿弥。室町時代(1434年配流) 世阿弥・雨乞いの舞。
将軍足利義教に疎まれ流罪となる。日照り続きのある夏、島民を救おうと雨乞いの舞を舞った。すると、大粒の雨が降り出したという。

佐渡の伝説を語る、「語り部のおじいちゃん、おばあちゃん」。うしろ向きの男の子も人形。実にリアルに出来ている。

安寿伝説。森鴎外の「山椒太夫」ー安寿・厨子王の母恋物語。

17:00 両津港を出港。雨交じりの寒い中、地元の若者たちが、舞を披露し見送ってくれた。感謝!

 

 

 


柔道界・野球界、「トップは責任をとって、何時辞めるの?」

2013-06-15 13:41:56 | Weblog

スポーツ大好き人間として、最近の柔道界、野球界の不祥事は、誠に残念だ。しかも、それぞれのトップは、何だかんだと言って辞める気配はない。全く見苦しいとしか言いようがない。

全日本柔道連盟(全柔連)では、暴力指導問題や助成金不正受給など不祥事が相次ぎ、4月下旬には、引責辞任を示唆していた上村春樹会長が「改革をやり切るのが使命」と述べ、一転して続投を表明した。如何に一般国民の感情とかけ離れていることか。

来年6月まで任期が残っているという上村会長は、「職にしがみついているわけではない。しっかり結果を出したい」と釈明しているが、長年にわたって責任者の立場にありながら、幾つもの不祥事に全く気がついていなかったのか、あるいは見てみぬふりをしていたのか、いずれにしても、組織を統率していく力がなかったということは明らかだ。何と弁明しようが、職にしがみついているとしか思えない。

上村氏は、オリンピックでの金メダル獲得をはじめ、長年にわたって輝かしい実績を持ち、柔道界においては、押しも押されもせぬトップリーダーである。しかし、事ここに至っては、責任を明確にすべき時に来ている。今の柔道界の常識は、世間の常識とは明らかにかけ離れている。新しく理事などの役員になった皆さんも、それを十分に弁えて改革に当ってほしい。

一方、日本野球機構(NPB)が統一球をひそかに飛ぶボールに変更していた問題。これまた、加藤良三コミッショナーが12日、各球団など関係者にお詫びをしたとのことだが、「私は知らなかった」「不祥事とは思っていない」と頑強に言い張る姿には唖然とした。下田邦夫事務局長の独断で行われたと示唆したが、事務局長は、相談しながら進めたと言っていたのに、すぐに撤回するなど混迷を深めている。

こんな大きな問題を、コミッショナーが知らずに事を進められるのか、極めて疑問だ。コミッショナーが知っていても、知らなかったとしても、紛れもなく不祥事そのものではないか。なのに、コミッショナーは、初めての記者会見では頭を下げていなかったし、昨日の会見でも、「ボールが変わったのは、ずれを修正する行為。そのことに着目すれば世間でいう不祥事ではない」と開き直る始末。

「失態」であると言いつつ、今のところ「私の進退問題について第三者(第三者機関を設置することになった)から意見が出れば当然ながら留意すべきことではある」とし、自ら辞任する意向はないようだ。テレビで、引退した小久保選手が言っていた。「ボールが飛ばせなくなったことも、引退の一要因ではある」と。

バッターにしろ、ピッチャーにしろ、選手生命に関わる問題を何と心得ているのか。駐米大使などを務めたエリートだが、トップとしての責任の取り方などは、知らないらしい。いや、知っていても、何だかんだ言っても選手やファンなどを言いくるめられるとでも思っているのだろうか。ここは、柔道界と同じように、球団の責任者や関係者が、勇気をもって改革に当らなければならい時だ。

リーダーの進退について記憶に残っている文章がある。

早稲田大学の教授だった宇野政雄氏が、昭和60年代に日本経済新聞社の「あのとき あの言葉」という連載の中で書いている。昭和40年代、大学紛争が激しかったころ、大浜信泉総長の後を引き受けて総長代行→総長→理事長となった阿部賢一氏についてである。当時、毎日新聞社の代表取締役であったが、総長代行として大荒れの学園紛争を半年で鎮静化させた。

阿部 賢一

総長の時、任期は4年だったが、2年ほどして、理事を務めていた宇野氏は、阿部氏から総長を辞めると告げられたという。その理由を聞くと、「最初から、火事の火消し役のつもりで総長になったのだから、鎮火したところで辞めるのが本当だと思う」と言い、「組織運営の責任者の進退にはタイミングが大切だと思う」とも語ったという。

あのころ、その潔さに賞賛の声が上がったのを覚えている。リーダーたるもの、その進退のタイミングを誤れば、今まで如何に立派な業績を残してきても、タイミングを失したら、それらを台無しにしてしまうということを肝に銘じなければならない。


2013「にっぽん丸」で、GW日本一周⑦ー富山

2013-06-14 13:49:28 | Weblog

6日目、午前9時半、富山港へ。
「にっぽん丸」は、初寄港ということで、歓迎も盛大だった。

歓迎の放水

クルージングの目玉の一つ、「立山の雪の大谷」。それほどの寒さでもなく、見応え十分。

標高2380m、雪の大谷

雪の壁の高さは、最高18m。雪と青空のコントラストが清々しい。

さすが、北アルプス。青空は一瞬にして消え、ただただ白い世界に。

立山からの帰り、「おわら風の盆」で知られる八尾の街を散策。「おわら史料館」なども見学。館内では、幻想的なおわらの映像を大型スクリーンで体感できる。

おわら風の盆は、毎年9月1日から3日にかけて行なわれている富山県を代表する祭り。越中おわら節の哀切感に満ちた旋律にのって、坂が多い町の道筋で無言の踊り手たちが洗練された踊りを披露する。艶やかで優雅な女踊り、勇壮な男踊り、哀調のある音色を奏でる胡弓の調べなどが来訪者を魅了する。この3日間で、合計25万人前後の見物客が八尾を訪れ、町はたいへんな賑わいをみせる。

何とも風情のある八尾の町並み。

街中にある公民館。入口の戸がちょっと開いていたので覗いてみたら、「入ってきていいよ」との声。翌日に控えた「越中八尾曳山祭」の打ち合わせ中にもかかわらず、屋内を見せてくれた。
[曳山祭」は江戸時代に富山藩の御納戸所として栄華を極めた町人文化。6本の二層人形屋台、フエ、太鼓、三味線が奏でる典雅な祭りだ。

立山から船へ戻る。

富山の皆さんのお見送りを受けて、18:30出港。

夜は、メインイベントの秋川雅史コンサート。
「千の風になって」「あすという日が」「翼をください」などはもちろん、美空ひばりの「津軽のふるさと」など、クラシックにこだわらない幅広いジャンルの歌を、あの迫力ある美声で歌い上げた。トークもなかなかのもので、十分に楽しめた1時間だった。

 

 

 


2013「にっぽん丸」で、GW日本一周⑥ー境港Ⅱ

2013-06-13 13:10:00 | Weblog

5日目、午後、境港市の「水木しげるロード」散策へ。
駅前から約800mにわたって、「ゲゲゲの鬼太郎」の登場する鬼太郎、ねずみ男、目玉おやじなど可愛い妖怪たちのブロンズ像153体が、あちこちにあって、なかなか楽しい。水木しげる記念館もあるが、時間がなくて行けなかった。JR境線には「鬼太郎列車」も走っている。

駅前の巨大妖怪イラストボード。

鬼太郎ファミリー一家など山陰に由来の妖怪26体が描かれている。



空港も「米子鬼太郎空港」という愛称に。

鬼太郎ポスト

鬼太郎駅

高さ4mの杉丸太でつくられたトーテムポール(右)

「妖怪神社」。妖怪パワーで願い事を叶えてくれる?

神社右手にある「巨大目玉おやじ清めの水」

「河童の泉」。鬼太郎の小便小僧、ねずみ男、「河童の三平」の登場キャラクターなど9体の妖怪たちがくつろぐ妖怪のオアシス(霧が漂う)。

店の中にも妖怪が。

水木しげるロード

地元の皆さんのお見送りを受けて、出港。

境港は、漁業の町で、生のクロマグロ、カニの水揚げ日本一を誇る。

夜は、落語を聴き、ビンゴゲーム大会、カジノを楽しむ。

 

 

 


2013「にっぽん丸」で、GW日本一周⑤ー境港Ⅰ

2013-06-12 10:40:14 | Weblog

5日目。オプショナルツアーに参加せず、島根県の大根島にある「由志園」へ。1万坪の日本庭園があり、ここでは、年間180万本(日本一)の牡丹を生産する。観光協会で、教えてもらうまで、知らなかったが、素晴らしい所だった。

「牡丹の館」では、年中、牡丹を観賞できる。

見事な3万輪の池泉牡丹。


2013「にっぽん丸」で、GW日本一周④ー平戸

2013-06-11 09:26:57 | Weblog

4日目。長崎県平戸市。
早くに西洋文化が入ってきただけに、異国情緒が漂う 。

平戸城は、別名亀岡城と呼ばれる。 第29代天祥鎮信は、平戸古城の再築(日の岳城を1599年築城、1613年焼く)を図り、山鹿素行と共に設計を行い、1704年、30代雄香棟が着工、1718年(享保3)31代松英篤信の時、亀岡城として落成した。 現在の城は1962年(昭和37)復元(天守閣三層五階建)された



フランシスコ・ザビエル記念聖堂をめざす。
この周辺には、寺院も多くあり寺院と教会が同居する平戸独特の風景がある。 

1402年(応永9)の創立された、曹洞宗の寺。鎖国により、母と平戸に想いを馳せながら国外に追放された、オランダ商館長の娘コルネリアの供養塔がある。



平戸殉教者顕彰慰霊之碑

「フランシスコ・ザビエル記念聖堂」

平戸港の西の小高い丘の上にある薄いグリーン色の教会。この協会は天文19年(1550年)に平戸を訪れたフランシスコ・ザビエルを記念して、昭和6年に建てられた聖堂。

小高い丘から、平戸湾内を望む

街中にには、フランシスコ・ザビエル、ジャック・スペックス(オランダ商館長)、三浦按針などの像がある。

街の通りには、平戸出身の作詞家・詩人・藤浦洸の碑がある。
NHKラジオ「20の扉」「私の秘密」などが懐かしい。大ヒット作「別れのブルース」(淡谷のりこ)などヒット曲多数。「ラジオ体操の唄」も。

松浦資料博物館。明治26年(1893)に、旧平戸藩主・松浦家の指定としてたてられた鶴ヶ峯邸及び松浦家に代々伝わる資料を、松浦家から寄贈を受け昭和30年(1955)に設立。この敷地は、江戸時代初期、オランダ、イギリス貿易当時、平戸藩主の屋敷があったところ。収蔵資料約3万点、展示資料約300点。(重文や県指定の有形文化財を含む)

ちなみに、江戸時代初期に徳川家康に外交顧問として仕えたイギリス人、ウィリアム・アダムス(航海士・水先案内人・貿易家。日本名の三浦 按針(みうら あんじん)としても知られる。

そのウィリアム・アダムスの尽力もあって、イギリス商館が出来て(1613年)400年になるという。



松浦家に々伝わる「ひな人形」



江戸時代の浮世絵師二代目歌川豊国が描いた、平戸藩出身の日本一の長身力士『生月鯨太左衛門』の絵。生月鯨太左衛門は江戸時代後期の力士で、身長2m27cm、体重180kgの長身であった。

 

当時の古地図

 

 

 

 

 

 


2013「にっぽん丸」で、GW日本一周クルーズ③ー鹿児島

2013-06-07 09:57:10 | Weblog

3日目、鹿児島へ。
美しい開聞岳( 鹿児島県、薩摩半島の南端に位置。標高924m霧島屋久国立公園)

 

 

鹿児島に寄港。「マリンポートかごしま」から、桜島を望む。



鹿児島は何回も訪れているので、オプショナルツアーには参加せず、市電に乗って単独行動。鹿児島中央駅から割合近いところにある歴史スポットなどを歩く。

鹿児島の歴史が一目で分かる「維新ふるさと館」



篤姫(天璋院)のコーナー



ご存知、維新三傑一人、西郷隆盛。(他の二人は、大久保利通、木戸孝允)
ここでは、幕末の薩摩の様子、維新を支えた英雄のエピソードを知ることが出来る。



帝国議会の様子なども立体的に見られるように工夫されている。

当時、すでに世界を視野に入れていた薩摩の状況が分かりやすく説明されている。
また、独特の「郷中教育」(先輩が後輩を教え導いて薩摩武士を育んだ)、「日の丸」「君が代」のルーツなどについても学ぶことが出来る。

ちなみに、「君が代」は明治期につくられ、「 日の丸」は江戸時代末期に薩摩藩の提案で日本の船に日の丸をかかげるようになり、 明治初期に日本の船舶の国籍を表すものとされたと言われる。

「荒野に新天地を求めて」というタイトルに見られるように、黒田清隆(北海道開拓長官として、札幌農学校の設立、屯田兵制度の導入などを行う。後に、首相)などが、北海道開拓などにも大きく尽力した。

大久保利通の像



「歴史ロード」

明治維新で活躍した多くの先人たちの誕生地がある、加治屋町の甲突川左岸緑地及びその周辺を、歴史ロード“維新ふるさとの道”として、薩摩の歴史を感じながら散策できる。お勧めのスポット。

鹿児島市の玄関口・鹿児島中央駅へ降り立つと、江戸時代の末期に国禁を犯して海外留学を果たし、日本の近代化のために尽力した薩摩藩の青年藩士17人の銅像「若き薩摩の群像」が観光客を出迎えてくれる。この中から、後の初代文部大臣・森有礼ら日本のリーダーを多く輩出した。 

この時、坂本龍馬などとも交流があった、トーマス・グラバーが船の調達などに協力したとされる。



「マリンポートかごしま」に、停泊中の「にっぽん丸」

 

 

 


2013「にっぽん丸」で、GW日本一周クルーズ②ー神戸~鹿児島

2013-06-06 14:03:54 | Weblog

2日目、am7:30 友ケ島水道(大阪湾入り口)ー10:00 神戸港入港 11:00神戸港出港ー12:00明石海峡大橋ー15:45瀬戸大橋ー18:30来島海峡大橋

神戸港へ

ちなみに、これら本四連絡橋については、昭和の初め、神戸ー鳴門ルートの構想を打ち上げた人物がいた。土佐の海陸交通王と言われた大物、野村茂久馬氏だ。

ウエルカムパーティー。今夜のドレスコードは、フォーマル(結婚式に出席するような華やかなスタイル。

船長をはじめクルーの紹介、軽い飲み物、演奏などがある。

この日のメインイベントは、川井郁子さんのヴァイオリンコンサート。彼女の演奏は聴かせるだけではなく、魅せるという点でも素晴らしい。うっとり !!


2013「にっぽん丸」で、GW日本一周クルーズ①ー横浜~神戸

2013-06-05 14:02:19 | Weblog

4月27日~5月6日まで、「にっぽん丸」で日本一周してきました。
コースは、横浜ー神戸ー鹿児島ー平戸ー境港ー富山ー佐渡島ー函館ー横浜の10日間。
寄港地で、それぞれオプショナルツアーが組まれ、船内イベントも多彩で充実したクルージングでした。旅行の整理が遅くなりましたが、少しずつリポートしていきます。



横浜の大桟橋。

たまたま、外国船の「サン プリンセス」号が、やはり、この日出航しました。
77,000トンで、
さすがに大きい。「にっぽん丸」は、22,472トン。

「サン プリンセス」を見ながら、音楽隊の演奏の中を、am11:00横浜港を出港。



船上でも、出航のセレモニーが。

ランドマークタワーなど、横浜港を後に。

船による歓送の放水。

海のキリンたちを見ながら、神戸へ。