日本三景・・・誰が勝手に決めたか?碑に記された林春斎をひもといて理解
寛永20年(1643年)に、儒学者・林春斎がその著書『日本国事跡考』の中で
「松島、此島之外有小島若干、殆如盆池月波之景、境致之佳興、丹後天橋立、
安芸厳島 為三処奇観」と書き記されて、「日本三景」という括りが出来た由。
その後貝原益軒が著書の中で「日本三景」という言葉を使ってここに定着した
厳島神社の「日本三景の碑」

三景各地のの日本三景碑も石は違うが書かれている碑文は同一
各地の順番が違い、自分のところが一番先に書かれている

安芸厳島、陸奥松島、丹後天橋立 為三処奇観
寛永20年(1643年) 日本国事跡考 林春斎 と書かれています

宮島の桟橋をおりて間もなくのところ、宮島入口

(22年1月16日撮影・厳島神社にて)
寛永20年(1643年)に、儒学者・林春斎がその著書『日本国事跡考』の中で
「松島、此島之外有小島若干、殆如盆池月波之景、境致之佳興、丹後天橋立、
安芸厳島 為三処奇観」と書き記されて、「日本三景」という括りが出来た由。
その後貝原益軒が著書の中で「日本三景」という言葉を使ってここに定着した
厳島神社の「日本三景の碑」

三景各地のの日本三景碑も石は違うが書かれている碑文は同一
各地の順番が違い、自分のところが一番先に書かれている

安芸厳島、陸奥松島、丹後天橋立 為三処奇観
寛永20年(1643年) 日本国事跡考 林春斎 と書かれています

宮島の桟橋をおりて間もなくのところ、宮島入口

(22年1月16日撮影・厳島神社にて)