9月も、あと4日で終わるというのに・・
とても穏やかで暖かい1日でした
まだ半袖を着ていられるなんて
東京ドームの時、お会いした起きて半畳さん
かなりのYAZAWAコレクター
ブログやツイッターを読ませて頂くと・・
チケットや会報などの紙関係が凄いらしい
なにしろ、何でも知ってるYAZAWA通の半畳さんなのです~
そういえば、以前
私が「CDのジャケットは全部捨てちゃいましたぁ~!」とブログに書いて
呆れられた事がありました。。
その半畳さんと初めてお会いしたのですが
その時・・
この貴重な会報のコピーを持ってきて下さったのでーす
私の選んだ矢沢語録
1981年7月25日発行
「Exciting Magazine」 より
発行所「E・YAZAWA Exciting Club」
「時間よ止まれ」がヒットし
LP『ゴールド・ラッシュ』がナンバーワンになり
激論集の自伝「成りあがり」が
ベスト・セラーを記録したのは3年前の夏のことだ。
その年、矢沢永吉は自分が目指してきた星になった。
星になることは難しい。
しかし、星なってから輝き続ける事は、もっと難しい。
今回のアメリカ録音に至るまでに、
矢沢永吉は、大きな決断を迫られたという。
矢沢
『ゴールドラッシュ』が終わって『キス・ミー・プリーズ』を作った時には
正直な話、もう矢沢、何もなかったね。
ミュージシャンとしても、作曲家としても、プロデューサーとしても。
ぼくの頭の中にあるイマジネーションだけじゃなくて、
欲みたいなものも出尽くした。
極端な話、武道館でコンサートやれば、
チケットはすぐ売り切れちゃうし、
レコードを出せば、何十万枚売れる。
キャロルを解散してソロになる時にあった夢が実現したわけね。
しかし実現すると、生意気言うようだけど、
日本に夢がなくなっちゃったのよ。
日本をバカにしてるわけじゃない。
おれにとって、一番価値があるのは、
あそこにたどりつきたい、こうやりたいという夢ね。
ところが、日本のマーケットを見た時にそれがなかった。
夢がなくなる。
ころほど寂しいものはないでしょう。
去年、横浜でコンサートが終わった時、もう何もなくて、
バック・バンドも全部解散したの。
自分が、どうあるべきかということに対して、限界を感じたのね。
自分はもう音楽をやめるか、アメリカに行ってやるか、
どっちかしかない。
気持ちは、どうしてもアメリカのほうへ行きたかった。
1981年発売のアルバムは「yazawa」
これは全曲英語詞だったんですね
ヒストリー2でしたか・・
英語のレッスンやレコーディングで
徹底的に発音を直されているシーンがありましたが
わざわざ大変な状況に飛び込んで行くのが永ちゃんなのですね
当時も今もギリギリに挑戦する永ちゃんって
本当に素晴らしい
さて・・
今夜はコレ
そして前回のYAZAWA旅の続きです~
スカイツリーのすぐ下にある「すみだ水族館」
私はペンギンが大好きなので
沢山のペンギン達がスイスイ泳いでいるペンギンプールに大興奮
陸上では、こんな感じのペンギンも
水に入ると