語誌を調べることが語源を明らかにするとして、語誌は語の発生から、その変遷、廃棄に至るまでをたどる。語を廃棄することは現実にはないのであるが、わすれられ記録がなくなると、そのときに廃棄の運命となる場合がある。日本語では、死語というように、ある状況から使えなくなった語を指すことがある。それは小説家などが戦中の軍用語を戦後の軍をなくした日本の社会現象で使われなくなった言葉を解説したのがあり、それが、死語となった。語源と語誌はどうかかわるか、それは通時における用法の記述を、意味の歴史的なとらえ方であるとか、その語についての記録を示すことであった語誌に、語史という表記を当てて、語史には従来の意味を当てはめて、語誌に、ある言葉の起源や意味、用法などについての変遷とする 出典:デジタル大辞泉 のようになった。ここでまた、語源と起源とは異なることになるが、日本語の語源探求のむずかしさからか、語の発生を起源としている。語源について語誌また語史をたどることは、方法であるので、語誌をまずは記述説明する、辞書の項目となる。 . . . 本文を読む
文法は規則である、その規則とは、どのようなものか。学習者にまず意識される日本語は漢字表記のことであろう。では、日本語文法は、日本語教育ではじめにとらえられるのは、指示し、関係をとらえる言葉である。これ それ 指示代名詞と呼ぶ、国語では、こそあど言葉のことである。あれ と、どれ というふうに、使い分けがあるとして、その使い分けとはなにか。話者を主体とする、これ それ の、日本語の使い方である。話者の指示する領域で、これ を用いる。話し手と聞き手がいれば、聞き手を話者とする領域があり、話し手からその領域を指示すると、聞き手の話者領域への指示は、それ となる。対話で、話し手が指示する領域にあるものを、これ と言えば、聞き手からは、それ となる。その逆になると、聞き手が指示する領域にあるものを、聞き手が話者となって、これ と言えば、話し手からは、それ となる。話し手、聞き手を、常に自分の側とするものを、これ と言い、相手の側とするものを、それ と指示することである。次いで、話者主体の領域にそれぞれないものを、あれ と言って指示し、それを特定しないものを不定とする、どれ となる。国語で、こそあど言葉とする概念では、話者主体を領域に、近称、中称、遠称、不人称と捉えている。 . . . 本文を読む
熱中症だろうかと首のあたりを冷やして昏睡状態、それは頭痛をこらえての動けない眠りのことで、火曜日の疲れからか、水曜の午後には倒れこんでしまった。その痛さから脳神経がマヒしてはいけないと、どうすれば、たもてるか、運動神経をまもるかと頭の中を駆け巡った。冷やして自己回復を考え、高発熱がなければそのまま、おさまるだろうと、あまりの痛さに空腹を感じているのはおかしいと思って、冷やして異常がなければ機能するところは大丈夫だと思った。久しぶりの激痛に、懲りが影響して、循環機能が停止していて、のどがカラカラ、水は飲もうと思って、痛みをこらえた。水曜の午後と、夜の就寝と、夕飯は食べられたので、今朝まで、連続して10時間の頭痛はおさまった。夢を見ていたように思う。頭痛薬の投与をタイミングを見て夜半の3時ごろ、それで、眠ることができた。 . . . 本文を読む