文章は文を複数にしたものとの解説に、最新版の解説には時枝説の文章についての概念を上げている。また、文章語を多用した文体に文章と言い、文語体とする辞書義には、さらに、それでは文章語はなにかとみるとトートロジに陥る。書き言葉、文語となる。文章と文とは同義とした明治期の西欧語の影響に、日本語には文という概念を持たなかったからであると類推をして、その文の規定に新たな議論をもって文法としようとしてきたが、結局のところ、皮肉にも単数複数の区別を持たない言語の捉え方、区別を持つわけだが、なぜか、文章を複数の文をつららねたものとして、それ以上の内容説明を、作文の文法、作品の研究までのを展開しようとして、文の論に終始してきたようである。精選版 日本国語大辞典の解説 >一つの主題でまとまった思想を表現するために、文(センテンス)を連ねたもの。主として、話しことばの談話に対して書状など書きことばについていい、また、詩歌に対して音数、韻などの比較的自由なものだけをさすことがある。 . . . 本文を読む
語彙の議論で語の意味を扱うと、語と意味という問題を考える。語にある意味とは何か、そも語に意味はあるのか、そのスタートに言語学の意味論で、語を記載する辞書は辞書義に過ぎず、臨時の意味を持つ、文脈によってうまれる、したがってもともと語に意味はないという捉え方がある。語を形式としてその内容にあるのは指示物であったり、概念を指していたり、あるいは語と語が、語と場の関係性で捉えられたりする。連想による、比喩による、そしてつねに、語に生まれるその用法が意味をつくっているとすることができる。漢字語の形音義の意義とは意味とどう違うか。ひらがなを用いて、仮名、かりな、かんな、とは音表記で意味を理解するのか、カタカナは原語とどのように意味内容が一致するのか、などなど、日本語と意味の捉え方には漢語による概念と、仮名文字による音韻のことがらが重要な議論となる。 . . . 本文を読む