数年前に愛媛県伊予三島(今は四国中央市)の実家に帰って、高校の頃によく行った山の公園で出会った、柴の子犬。
子犬の可愛らしさでは、柴犬にまさるものは無いと思う。無邪気でいたずらっぽい目、金時さんや小熊のような仕草、まさに日本の犬である。
この子犬ももう4,5歳になっているだろう。この公園からは製紙会社の工場群と共に、瀬戸内海の燧灘が見渡せる。高校のとき学校をずる休みして、よく昼寝にも来た懐かしい公園だ。空と山と海に囲まれた、静かな憩いの場でもある。
あれから35,6年経つ。何が変わって、何が変わっていないのだろう。毎年正月を迎えると、何か物悲しさから逃げられない気分と、今年もがんばって走り抜けようという思いが交錯する。
元気印に針を合わせて、悲しみの蓋をしっかり閉じる。
子犬の可愛らしさでは、柴犬にまさるものは無いと思う。無邪気でいたずらっぽい目、金時さんや小熊のような仕草、まさに日本の犬である。
この子犬ももう4,5歳になっているだろう。この公園からは製紙会社の工場群と共に、瀬戸内海の燧灘が見渡せる。高校のとき学校をずる休みして、よく昼寝にも来た懐かしい公園だ。空と山と海に囲まれた、静かな憩いの場でもある。
あれから35,6年経つ。何が変わって、何が変わっていないのだろう。毎年正月を迎えると、何か物悲しさから逃げられない気分と、今年もがんばって走り抜けようという思いが交錯する。
元気印に針を合わせて、悲しみの蓋をしっかり閉じる。