今から30年くらい前、24歳で棋士になった頃、奈良に移り住んだ。対局も少なく、あまり仕事もやってなかったので、暇が多かった。自転車で奈良界隈を回るか、競輪場通い、たまに大阪に稽古、他は師匠の奈良教室の手伝いの日々だった。
順位戦が一年間無かった年で、新聞棋戦も待たされて、棋士になっても実感が涌いてこなかったのと、初めてのひとり暮らしだから自由気ままもいいとこだった。
アパートの人に怪しまれて?何だか昼間は家にいずらくて、朝になると仕事に出掛ける振りをして、あちこちウロウロしていた。管理人さんに「お仕事は?」と聞かれて「将棋です」と答えると「ああ将棋クラブにお勤めですか」「はい」と返事をする。棋士という職業に、今ひとつ胸をはれない後ろめたさがあった。仕事と言うのは、朝出かけて夕方帰るのが普通だと思っていたからだ。
この気持ちは今もどこかに残っているので、棋士がそんなに偉い職業とは思えないのだ。細々と飯が食えればいいんじゃないかくらいの相場なのだ。
奈良はくまなく回ったが、いつも帰りには二月堂の上に上って、奈良を見渡す風景に見とれていた。いにしえの名残があって、きっと千年前もさほど変わらない風景だったのだろうと思うと、時空を越えて見えないものが存在するような、ロマンを感じるのだ。
こんなのんびりした気分で勝負に挑んでいたら、勝てそうにないけど・・
案の定、それからの棋士生活はどちらかいうと苦戦続きで、いつ廃業かの心配と何とか踏ん張らないとまずい、そんな繰り返しだったような気がする。その割りになんとか持ちこたえてきたのが、今までの私の履歴書かもしれない。
なのに、目線が違うところに向いてしまうクセは治らない。
この写真は、表通りでなく、人があまり来ない裏通りにいる鹿たちである。冬のせいか、まだ昼間なのに日差しが傾き、大きな長い影が伸びている。戦いを避けてグループからはずれているのか、それとも戦いに敗れて隅っこにいるのか、静かなメンバーが揃った。
順位戦が一年間無かった年で、新聞棋戦も待たされて、棋士になっても実感が涌いてこなかったのと、初めてのひとり暮らしだから自由気ままもいいとこだった。
アパートの人に怪しまれて?何だか昼間は家にいずらくて、朝になると仕事に出掛ける振りをして、あちこちウロウロしていた。管理人さんに「お仕事は?」と聞かれて「将棋です」と答えると「ああ将棋クラブにお勤めですか」「はい」と返事をする。棋士という職業に、今ひとつ胸をはれない後ろめたさがあった。仕事と言うのは、朝出かけて夕方帰るのが普通だと思っていたからだ。
この気持ちは今もどこかに残っているので、棋士がそんなに偉い職業とは思えないのだ。細々と飯が食えればいいんじゃないかくらいの相場なのだ。
奈良はくまなく回ったが、いつも帰りには二月堂の上に上って、奈良を見渡す風景に見とれていた。いにしえの名残があって、きっと千年前もさほど変わらない風景だったのだろうと思うと、時空を越えて見えないものが存在するような、ロマンを感じるのだ。
こんなのんびりした気分で勝負に挑んでいたら、勝てそうにないけど・・
案の定、それからの棋士生活はどちらかいうと苦戦続きで、いつ廃業かの心配と何とか踏ん張らないとまずい、そんな繰り返しだったような気がする。その割りになんとか持ちこたえてきたのが、今までの私の履歴書かもしれない。
なのに、目線が違うところに向いてしまうクセは治らない。
この写真は、表通りでなく、人があまり来ない裏通りにいる鹿たちである。冬のせいか、まだ昼間なのに日差しが傾き、大きな長い影が伸びている。戦いを避けてグループからはずれているのか、それとも戦いに敗れて隅っこにいるのか、静かなメンバーが揃った。