震災から11年経ち、今年もその日がやって来た。昨年は十年目に、震災で亡くなった船越隆文君のお母さんとお兄さんが、初めて清荒神に足を運んでくれた。
お母さんは「怖くて足がすくみ、一生いけないかもしれません」と言ってずっと躊躇されていたが、ようやく実現した。この写真の空き地に船越君のアパートがあった。何でもない一枚の写真を撮るのに、私も十年かかった。
「もう弟子は取らない」そのときの正直な思いだったが、数年経ち、そのことを知ったお母さんから「隆文のためにも、弟子をいっぱい取って育て下さい」と言われた。
震災の後の数年間、お母さんは立ち直れなくて、船越君の肖像画を描き続けたり、「棋士になりたい」という本の出版もされて、自分を支えてこられた。
そして2年前に、宝塚で個展を開くことになり、ようやく私の心のしこりがひとつ取れたような気がした。
この11年、自分はどんな生き方をしてきたのか、そしてこれからどんな生き方をするのか。
いつもこの命題を突きつけられて、船越君に返事をしながら語りかけるのが、1月17日である。
生きているものの傲慢さを、死せるものは語れない。歯がゆいくらいに、哀しい気持ちやいらだちを、心の中で消化していくよりないのだろう。
お母さんは「怖くて足がすくみ、一生いけないかもしれません」と言ってずっと躊躇されていたが、ようやく実現した。この写真の空き地に船越君のアパートがあった。何でもない一枚の写真を撮るのに、私も十年かかった。
「もう弟子は取らない」そのときの正直な思いだったが、数年経ち、そのことを知ったお母さんから「隆文のためにも、弟子をいっぱい取って育て下さい」と言われた。
震災の後の数年間、お母さんは立ち直れなくて、船越君の肖像画を描き続けたり、「棋士になりたい」という本の出版もされて、自分を支えてこられた。
そして2年前に、宝塚で個展を開くことになり、ようやく私の心のしこりがひとつ取れたような気がした。
この11年、自分はどんな生き方をしてきたのか、そしてこれからどんな生き方をするのか。
いつもこの命題を突きつけられて、船越君に返事をしながら語りかけるのが、1月17日である。
生きているものの傲慢さを、死せるものは語れない。歯がゆいくらいに、哀しい気持ちやいらだちを、心の中で消化していくよりないのだろう。