久しぶりに清荒神の散策に出かける。駅裏の空き地には、震災で亡くなった弟子の船越隆文君の住んでいたアパ-トがあった。十年経ったが、今も当時のままである。そこから坂道を上り、八坂神社にお参りしてから、村野藤吾邸に向かう。いつも通っているのに、あらためて驚く。村野藤吾さんは戦前戦後を通して数多くの名建築を残した、日本を代表する建築家だ。没後20年あまり経つが、90歳を越えても創作意欲が落ちず、亡くなる前日まで仕事をしていたというから凄い人だ。
まさか近くに実家があるとは夢にも思っていなかった。塀と門の外から中を覗かせてもらっていると、偶然、上品な女性が寄って来られて「どうぞ、ご見学なさいますか?でも春のほうがいいですよ」娘さんだったが、「怪しくしてすみません」と恐縮する。少しお話していただいて、3月にテレビ放映のときは、日時を連絡してもらえることになった。
冷や汗をかいたが、うれしい出会いでもあった。
そこからモダンな住宅街を通って、旧橋本関雪邸に向かう。以前は見学も出来たのだが、震災で美しい庭園や建物が破壊されてしまって、見るも無残な風景となってしまった。保存よりも売却の話も聞いているが、哀しい現実である。
震災の爪痕は、未だに深くあちこちに残っている。中は入れないのでちらっと覗くと、あの風情の面影は跡形もない。この写真の門構えだけが、さみしくたたずんでいた。巡礼街道と言うロマンあふれる名称の小道に、旧橋本関雪邸も是非復活してほしいものである。
帰って昼寝をしていると、電話が鳴って、震災の特集で17日朝日の夕刊に(阪神版予定)船越隆文君の記事掲載のインタビューを受けることになった。
不思議なもので、ちょうど空き地を写真で撮った後だった。
まさか近くに実家があるとは夢にも思っていなかった。塀と門の外から中を覗かせてもらっていると、偶然、上品な女性が寄って来られて「どうぞ、ご見学なさいますか?でも春のほうがいいですよ」娘さんだったが、「怪しくしてすみません」と恐縮する。少しお話していただいて、3月にテレビ放映のときは、日時を連絡してもらえることになった。
冷や汗をかいたが、うれしい出会いでもあった。
そこからモダンな住宅街を通って、旧橋本関雪邸に向かう。以前は見学も出来たのだが、震災で美しい庭園や建物が破壊されてしまって、見るも無残な風景となってしまった。保存よりも売却の話も聞いているが、哀しい現実である。
震災の爪痕は、未だに深くあちこちに残っている。中は入れないのでちらっと覗くと、あの風情の面影は跡形もない。この写真の門構えだけが、さみしくたたずんでいた。巡礼街道と言うロマンあふれる名称の小道に、旧橋本関雪邸も是非復活してほしいものである。
帰って昼寝をしていると、電話が鳴って、震災の特集で17日朝日の夕刊に(阪神版予定)船越隆文君の記事掲載のインタビューを受けることになった。
不思議なもので、ちょうど空き地を写真で撮った後だった。