
(写真は蔵前石碑の周辺)
江戸町(えどちょう)
本町1-7(裡1丁目児童公園内)に旧地名の石碑があります。
本一丁目、本二丁目と備前堀との間あたりにあった町で、寛永年間に湿地が埋め立てられて作られたそうです。魚類を江戸に送り出す商人町だったそうです。初め江戸肴町と言われていましたが、宝永6年(1709)の古記録には江戸町となっているのでその頃、江戸町と呼ばれるようになったらしいとのことです。ここでは江戸芝居などが上演されたそうです。
大坂町(おおさかちょう)
梅香2-1-61先に旧地名の石碑があります。
昭和41年廃止前の旧町名時代は梅香1丁目と2丁目あたりの町ですが、以前はそのまま北進して那珂川にいたる長い町で、那珂川に下るところの坂を大坂といっていたことが町名の由来だそうです。
蔵前(くらまえ)
城東5-5-2先に旧地名の石碑があります。
延宝2年(1674)に水戸藩の雑穀蔵が建てられ、元禄3年(1690)に裏新町と名づけられましたが、蔵前、御蔵前とも呼ばれたそうです。すぐ前の那珂川に河岸があり、水運で穀物を運んでいたようです。
浜町(はまちょう)
本町2-13-29先に旧地名の石碑があります。
江戸時代は旧浜田村内で、明治22年の水戸市制施行のときに、水戸市に編入されたそうです。陸前浜街道の一部であったため、昭和9年の町名改称で浜町となったそうですが、まことに小さな町です。
谷中(やなか)
末広町3-3-20(サーパス末広町)に旧地名の石碑があります。
地形が谷間であったために付けられた旧常葉村の小字名で、明治22年水戸市制施行に当り水戸市に編入されたそうです。近くに歩兵第2連隊などができて、町はにぎわったそうです。
江戸町(えどちょう)
本町1-7(裡1丁目児童公園内)に旧地名の石碑があります。
本一丁目、本二丁目と備前堀との間あたりにあった町で、寛永年間に湿地が埋め立てられて作られたそうです。魚類を江戸に送り出す商人町だったそうです。初め江戸肴町と言われていましたが、宝永6年(1709)の古記録には江戸町となっているのでその頃、江戸町と呼ばれるようになったらしいとのことです。ここでは江戸芝居などが上演されたそうです。
大坂町(おおさかちょう)
梅香2-1-61先に旧地名の石碑があります。
昭和41年廃止前の旧町名時代は梅香1丁目と2丁目あたりの町ですが、以前はそのまま北進して那珂川にいたる長い町で、那珂川に下るところの坂を大坂といっていたことが町名の由来だそうです。
蔵前(くらまえ)
城東5-5-2先に旧地名の石碑があります。
延宝2年(1674)に水戸藩の雑穀蔵が建てられ、元禄3年(1690)に裏新町と名づけられましたが、蔵前、御蔵前とも呼ばれたそうです。すぐ前の那珂川に河岸があり、水運で穀物を運んでいたようです。
浜町(はまちょう)
本町2-13-29先に旧地名の石碑があります。
江戸時代は旧浜田村内で、明治22年の水戸市制施行のときに、水戸市に編入されたそうです。陸前浜街道の一部であったため、昭和9年の町名改称で浜町となったそうですが、まことに小さな町です。
谷中(やなか)
末広町3-3-20(サーパス末広町)に旧地名の石碑があります。
地形が谷間であったために付けられた旧常葉村の小字名で、明治22年水戸市制施行に当り水戸市に編入されたそうです。近くに歩兵第2連隊などができて、町はにぎわったそうです。
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