信長の館 2014-5来館
琵琶湖周辺一人旅の2日目の午後に、信長の館を訪れました。
もう足かけ2か月前の話、でも、この訪問がとても印象的だったので、今でも鮮明でしかも、もう一度見たいところでもあります。
午前中、長浜城へ寄ってきた自分は、安土駅まで向かいました。
各駅停車しか停まらないという事は、あまり、ターミナル的なところでは、ない事は感じたのですが、それ以上に乗降客も少ない駅であるのには驚いたのです。
その信長の館までの、直行バスなどがあるのか、あったのかもしれないが、2km〰3kmは歩いてしまおうと思ったので、そん点では動揺はしません。
ただ、駅前にレンタルサイクルのお店と、タクシー乗り場があったのは、この2点を利用する人が多いのでしょう。
スマホのナビを頼らないと道案内もないところで、20分も歩いていると、館らしきものが見えてくるのですが、あたり一面田んぼいというのには、天下をとらんばかりの大きな城下町に囲まれた安土を想像していたのは、正反対である事には気づいてきました。
やっとの思いで、駅から徒歩で到着
入館料を払って、中に入るとまず初めに圧巻安土城
そして、正面はこんな感じで美しい
セビリア博覧会に出展された城(ダウンサイジングではありますが)は、大好評であったのは当然でしょう。
どの角度から見ても美しい。
そして、この最上階に向けて外に設えた階段を目指しました
そして、最上階に鬼瓦と破風も圧巻です。
この最上階の部屋は恐れ多くて、上手く写せませんでした(信長様威厳に負けて、手ぶれしてしまいました)
春風亭昇太やピエール瀧の色紙も飾ってあったりで、賑やかな感じです。
この安土城は、この頃から、西洋の思想が多く取りいられていて、描かれている壁画?襖絵?などにも、さらに、この城は軍備的な部分があまりなく、兵士も多く入るような城ではなかった様です。
当時、吹き抜けで最上階近くまで吹き抜けになっていたのも、西洋建築の影響があるのでしょう
結構な距離を歩いて言った価値は十分以上、最大な感動を与えてくれました。
その壮大な建物があった場所へ、いざ、安土城址へ向けて、勇んで行きました。
つづく
琵琶湖周辺一人旅の2日目の午後に、信長の館を訪れました。
もう足かけ2か月前の話、でも、この訪問がとても印象的だったので、今でも鮮明でしかも、もう一度見たいところでもあります。
午前中、長浜城へ寄ってきた自分は、安土駅まで向かいました。
各駅停車しか停まらないという事は、あまり、ターミナル的なところでは、ない事は感じたのですが、それ以上に乗降客も少ない駅であるのには驚いたのです。
その信長の館までの、直行バスなどがあるのか、あったのかもしれないが、2km〰3kmは歩いてしまおうと思ったので、そん点では動揺はしません。
ただ、駅前にレンタルサイクルのお店と、タクシー乗り場があったのは、この2点を利用する人が多いのでしょう。
スマホのナビを頼らないと道案内もないところで、20分も歩いていると、館らしきものが見えてくるのですが、あたり一面田んぼいというのには、天下をとらんばかりの大きな城下町に囲まれた安土を想像していたのは、正反対である事には気づいてきました。
やっとの思いで、駅から徒歩で到着
入館料を払って、中に入るとまず初めに圧巻安土城
そして、正面はこんな感じで美しい
セビリア博覧会に出展された城(ダウンサイジングではありますが)は、大好評であったのは当然でしょう。
どの角度から見ても美しい。
そして、この最上階に向けて外に設えた階段を目指しました
そして、最上階に鬼瓦と破風も圧巻です。
この最上階の部屋は恐れ多くて、上手く写せませんでした(信長様威厳に負けて、手ぶれしてしまいました)
春風亭昇太やピエール瀧の色紙も飾ってあったりで、賑やかな感じです。
この安土城は、この頃から、西洋の思想が多く取りいられていて、描かれている壁画?襖絵?などにも、さらに、この城は軍備的な部分があまりなく、兵士も多く入るような城ではなかった様です。
当時、吹き抜けで最上階近くまで吹き抜けになっていたのも、西洋建築の影響があるのでしょう
結構な距離を歩いて言った価値は十分以上、最大な感動を与えてくれました。
その壮大な建物があった場所へ、いざ、安土城址へ向けて、勇んで行きました。
つづく