異例の国賠提訴の竹内浩史判事が講演
"官僚司法”を痛烈批判
(関西テレビ放送 カンテレ)
https://www.ktv.jp/news/articles/?id=13923
今日は弁護士任官者や日本裁判官ネットワークの諸先輩を差し置き、錚々たる聴衆の前で講演をさせていただく栄誉に浴した。
(写真)ちなみに、官僚裁判官を「(小)役人」と呼ぶのは、私が初めてというわけではなく、例えば、瀬木比呂志元裁判官も数々の著書で同様の評価を下している。
内閣不信任案が衆議院で否決され、国会が閉幕した。
(参照条文)日本国憲法
第六十九条 内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。
(写真)三淵忠彦初代最高裁長官のWikipedia記事から抜粋。
結局、事務総長は、裁判官の身分を離れながら、裁判官である局長・課長・局付を配下に「俗的な人事行政」等に従事することになってしまった。
私の著書からの連載第5回が掲載された。
“裁判官の会議”は「見られたら、とても恥ずかしい」… 現職の敏腕判事の“勇気ある発言”を待ち受けていた「運命」とは(弁護士JPニュース)
https://www.ben54.jp/news/1258
私の著書の中では珍しく司法研修所だけは褒めた。実際に最高裁の下の「裁判をしない裁判官」の中で、最もよく働いているのは、研修所教官(司法修習生を指導する教官だけではなく、裁判官・書記官・調査官の研修を担当する教官もいる)と、最高裁調査官だと思う。
したがって、高裁長官→最高裁判事→最高裁長官と出世するのに適任な高官は、事務総長(在任中は裁判官ですらない)などよりも、まずは司法研修所長・裁判所職員総合研修所長及び最高裁首席調査官であろう。特に後者は、調査官として最高裁判決に関与して来たのだから、最高裁判事になってからも論客が多い。
しかし、現実の人事は必ずしもそうなっていない。事務総長(戸倉・今崎)・人事局長(安浪)及び法務省民事局長(深山)等の経験者が裁判官出身の最高裁判事6名の過半数を占めている。
私が二十年余り前に弁護士任官してから認識を改めたのは、当時はよく新聞に掲載されていた「判決要旨」は、新聞記者ではなく、裁判官自身が作成しているということだった。
公害裁判のような長文の判決の場合は、原告弁護団員として裁判所から判決要旨を受け取った経験もあるので、そうであろうと知っていたが、それほど長いわけではないが報道対象になる判決についてもそうだとは思っていなかった。てっきり、記事を執筆する各紙の記者が掲載までのごく短時間で要約しているものと思い込んでいたのだ。冷静に考えてみれば、記者にそんな芸当ができる訳が無いのだが。
(写真)任官して最初に「判決要旨」を作成したのは、東京高裁で判決した、旧日本軍の爆雷が廃棄物処理中に爆発して工場ごと吹っ飛んだという裁判だったと記憶している。この事案で国家賠償を認める場合に、時効と除斥期間の起算点はいつになるのか。私たちは当然に爆発時であるとして請求を認容した。実は同様の事案が中国で起きた場合に熾烈に争われていたこともあって、報道された。
かなりの分量の判決書を完成させた後に短期間で「判決要旨」を作成するのは大変だった。そもそも、判決理由は多かれ少なかれ裁判官3名の妥協の産物なので、どの部分を要旨として抜粋するかで、意外に議論が紛糾するのだ。
最近は、裁判官にとって余計な仕事を増やすだけだと事務方が忖度しているのか、判決要旨の求めをなるべく記者にさせなくなったという。確かに、法律上の位置付けの無い文書を裁判所が「便宜供与」として出す事には、批判もあり得るところだ。
そこで、私は、判決文の中に「判決要旨」に当たる部分を取り込んではどうかと考えている。
その実践例が、遅まきながら、裁判所ホームページに掲載された。
https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail4?id=93020
この判決の21〜29頁当たりも、そのつもりで書いたもので、言渡しの際はその前後を全部読み上げた。
聞いていても分かりやすかったと、傍聴者の評判は上々だったと感じている。
他方で、名古屋高裁部総括になったのは、吉田彩判事。
(写真)名古屋地裁部総括を3年余り務めて「上席」となった後、富山地家裁所長を2年余り務めてきた。通例の昇進ルートと見ることができる。むしろ、所長として3年目に入り、地域手当の異動保障期間が切れて富山市の3%に下がってしまっていたので「お待たせし過ぎたかも知れません」。
横浜地裁民事第6部(交通集中部)では同じ右陪席としてご一緒した。
私が問題にしたいのは、このような「通例の昇進ルート」自体の是非である。高裁部総括は、原則的に地家裁所長を経ないとなれないポストと見られている。実際にも、地家裁所長経験なくして就任した高裁部総括は極めて少ない。
高裁部総括の定年退官に伴う後任人事となるので、地家裁部総括の定期異動に合わせるのは難しく、地家裁所長と同様に不定期人事と位置付けた方がやりやすいという事情はあろうが、例外はいくらでもあり得るのは昨日も具体的な事例を示したとおり。
現在の地家裁所長は、基本的には裁判を担当せずに、司法行政官として、最高裁事務総局からの上位下達を徹底させる仕事に成り下がっている。逆に最高裁に物を申したのは、最近亡くなった、日本裁判官ネットワーク創設メンバーの安原浩松山家裁所長がおそらく最後であろう。私はそのような仕事ならばやりたくない。
地家裁所長として最高裁の方針への従順さを確認されてからでないと、高裁部総括として高裁判決を出させないという仕組みになっているのではないか、とさえ思わされる。
今日の中日社説から
https://www.chunichi.co.jp/article/912820
この問題に関連して、私が最近思いついた再審ルールの改正案を披露したい。
最高裁白鳥決定が樹立した判例では、新規性のある証拠が提出された場合、新旧両証拠を総合して、新証拠の明白性の有無により、再審開始の可否を判断することになっている。
しかし、その具体的な判断は区々に分かれており、基準としては極めて不安定である。
そこで私案だが、新証拠の新規性が認められる場合は、検察官に公判未提出証拠の全面開示を命じ、その検討を経た上で、再審開始の可否の判断をしてはどうだろうか。
新規性のみで再審開始をするには法改正が必要だが、全面的証拠開示命令をするだけならば、現行法の下でも運用ルールとして可能と思われる。
死刑判決の決め手であったはずの歯型鑑定を崩したのに再審開始にならない名張事件、DNA鑑定を崩したのに再審開始にならない飯塚事件などの事例に接するにつけ、事ここに及べば、もはや全ての証拠を開示して決着を図るべきではないかと痛感させられる。