昨日のブログで引用した先例とは、有名な寺西裁判官分限裁判最高裁決定(10対5の多数意見により戒告処分)。
正確には、集会に参加した寺西さんの発言は「仮に法案に反対の立場で発言したとしても、裁判所法に定める積極的政治運動に当たるとは考えないが、パネリストとしての発言は辞退する。」などというものに過ぎなかった。寺西さんとしては、最大限の譲歩だっただろう。
そもそも、発言の文意から懸け離れて、発言者の真意を追及するような規制は、極めて危険である。それは、表現の自由どころか、内心の自由ないし良心の自由をも脅かすものというべきであろう。現代でも隣国をはじめ少なからぬ国で弾圧に用いられている手法である。日本人自身も、戦前の治安維持法の濫用等の教訓から学んだのではなかったか。
寺西決定に対しては、弁護士時代の私も反対運動に加わった。そして、あの多数意見には、現在でも反対意見は変わらない。ちなみに、当時の反対意見5人とは、弁護士・学者出身の最高裁判事の全員だった。