最近よく「裁判官ガチャ」と言われる。裁判官の当たり外れが激しい事への不満である。
ただ、全国数千人の裁判官の誰かがその事件を原則として一人で担当しなければならず、担当裁判官はなるべく偶然に決まる仕組みにしているので、ハズレたと思っても、ある程度は我慢していただくしかない。その程度の不満で「裁判官忌避」を認めたら、裁判制度が成り立たない。
裁判官は、所属裁判所で事件番号順に配点され、たまたま当たった事件を担当するだけである。裁判官もその事件がやりにくいとか、嫌だからなどという理由では「裁判官回避」は許可されない。
そもそも、裁判官がその裁判所にいること自体が、多くの場合は偶然であり、最高裁の異動内示に応じたにすぎない。巨大なルーレットの玉として、全国津々浦々を回されているようなものだ。
しかし、よく考えてみると、国は、もしやろうとすれば、担当裁判官を選ぶ事ができる。
国の司法権を代表する最高裁は、重要な事件が係属している裁判所・合議体の後任裁判長や、全国の高裁の裁判長を決める権限を握っているのだから、国の行政権すなわち内閣を代表する法務省と協力して、
「人事を尽くして必勝を待つ」
という戦略が可能である。
特に、古くから日弁連を初めとする世論から問題視されている「判検交流」は、そのような必勝戦略の重要な一部として悪用されているのではないか、国民の絶えざる監視が必要であろう。
私としては、名古屋地裁民事第1部(労働事件集中部)の次期裁判長人事からは目が離せない。
名古屋の労働弁護士・経営法曹にとっても、死活問題かも知れない。
ただ、全国数千人の裁判官の誰かがその事件を原則として一人で担当しなければならず、担当裁判官はなるべく偶然に決まる仕組みにしているので、ハズレたと思っても、ある程度は我慢していただくしかない。その程度の不満で「裁判官忌避」を認めたら、裁判制度が成り立たない。
裁判官は、所属裁判所で事件番号順に配点され、たまたま当たった事件を担当するだけである。裁判官もその事件がやりにくいとか、嫌だからなどという理由では「裁判官回避」は許可されない。
そもそも、裁判官がその裁判所にいること自体が、多くの場合は偶然であり、最高裁の異動内示に応じたにすぎない。巨大なルーレットの玉として、全国津々浦々を回されているようなものだ。
しかし、よく考えてみると、国は、もしやろうとすれば、担当裁判官を選ぶ事ができる。
国の司法権を代表する最高裁は、重要な事件が係属している裁判所・合議体の後任裁判長や、全国の高裁の裁判長を決める権限を握っているのだから、国の行政権すなわち内閣を代表する法務省と協力して、
「人事を尽くして必勝を待つ」
という戦略が可能である。
特に、古くから日弁連を初めとする世論から問題視されている「判検交流」は、そのような必勝戦略の重要な一部として悪用されているのではないか、国民の絶えざる監視が必要であろう。
私としては、名古屋地裁民事第1部(労働事件集中部)の次期裁判長人事からは目が離せない。
名古屋の労働弁護士・経営法曹にとっても、死活問題かも知れない。