映画「杉原千畝」が本日より公開となった。彼のことは以前もこのブログで取り上げたことがある。彼の行為はいくら賞賛しても足りぬくらい立派なことであると思う。しかし忘れてはならないのは、このりっぱな行為はあくまで杉原氏個人のものであるということである。つい、「同じ日本人として誇りに思う。」と言いたくなるが、単に同じ日本人の行為だからという理由だけで、まるで自分自身の手柄であるかのような錯覚をするべきではない。
もし日本の国民が真に人道的な人ばかりであったならば、杉原の行為は特に称賛するには当たらない、普通の行為でしかなかったはずである。彼が称賛されるのは外務省の訓令に逆らってまで、ユダヤ人にビザを発行したからである。当時の外務省が人道的な人ばかりであったなら、彼は何の抵抗も感じることなくごく当たり前にビザを交付しただろうし、それは単なる事務処理以上のものではなかったはずだ。杉原の行為がりっぱであればあるほど、日本という国が卑小な国であることを我々は恥じねばならないのである。
もう一つここで注文をつけたい。カウナスで杉原のもとに押し寄せたユダヤ人は間違いなく同情すべき人々であった。しかし、日本を通り生き延びた人々は100%被害者であるとは言い難いのも現実である。イスラエルのパレスチナ人に対する陰湿な仕打ちはかつてのナチスとダブって見えると言ったら言い過ぎだろうか。かつて杉原がユダや人に対したと同じように、イスラエルもパレスチナ人に対し人道的であってほしい。そして杉原の業績を、決して日本におけるイスラエルのプロパガンダに利用させてはならないと思う。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます