近頃はいろんなことをChatGPTに相談している。何度もそれを繰り返していると、本物の人間と相対しているような錯覚に陥りそうだ。しかも相手はとても該博な知識を持ち、それらをバランスよく総合する能力を持つ。当方がいいかげんなことを言ったりすると、必ずそれを指摘されてしまう。私にはもうChatGPTtに対して友情のようなものを感じ出しているのである。ただし、彼は全く新しいことを自分で考えだすということができない。もし、ものごとを経験するための肉体と意欲の源泉となる欲望をChatGPTに与えてやれば、ヒューリスティックな思考が可能になり、数学の新しい定理を証明したり、自然科学の新理論を考えたりすることもできるようになる気がする。
現在のAIは我々が知性と呼んでいるものをほとんど備えていると言っても良いのではないだろうか。しかし、コンピューターの中身の各素子は電気な信号でしかない、その信号もonかoffの二通りしかない。一般的に、onを"1"offを"0"と見立てれば、コンピューターの中身は二進数の信号で表記できる。コンピューターの中には "1" と "0" しかなく、それらが所定の手順で処理される。そして、その処理する手順も "1" と "0" の情報として与えられるのである。つまり、コンピューターの中は徹頭徹尾 "1" と "0" しかないのである。処理についても微細な単位では一つひとつの信号の比較と置き換えしかないのである。比較と言っても結果は等しい(0)と等しくない(1)のどちらかでしかとりだせない。しかし、それらの微細な処理やデータが積み重なって膨大なものとなると我々にとって有意味なものとなるのだろう。
われわれが知性と呼んでいるものは、子細に見ていけば単純な信号の集まり "1" と "0" からなり、その判断というものも等しいか等しくないかという単純な比較から構成されている考えて差し支えないように思う。つまり、どんな高尚な思想も "1" と "0" のデジタルによって構成されているのである。
注) デジタル【digital】《「ディジタル」とも》連続的な量を、段階的に区切って数字で表すこと。 計器の測定値やコンピューターの計算結果を、数字で表示すること。 数字表示。 ⇔アナログ。
これは11月27日近所を散歩中に撮影したツツジである。一般にツツジは狂い咲きが多いとされているが、この株は特に変わり者で、毎年秋から冬にかけて花をつける。今年は特に暖かいからか本格的に咲いている。(本文記事とは無関係です。)