「サワコの朝」という番組を見ていたら、ゲストの気象予報士の森田さんが面白いことを言っていた。
「雲は移動しない。」と言うのである。空を見ていると、はるか西の方の雲がだんだんとこちらの方に向かってくる。どう見たって「移動」してくるように見えるのだが‥‥。
森田さんの言い分はこうである。雲というのは細かい水滴でできている。その水滴がそのまま何十キロも移動するということは考えにくい。あるものは寄り集まって雨となって地上に落ちているだろうし、あるものはまた水蒸気になってしまったりしている。微細な水滴は長時間そのままの形を保てるほど安定してはいない。近くにやって来た雲を構成している水滴は、遠くでできたものではなくてそこで発生したものだと言うのだ。雲が移動するというのは、電光掲示板の文字が「移動」しているように見えるのと同じだというのである。
聞いてみれば、「なるほど」という話である。こういう風に角度を変えてものを見てみるという発想は重要である。以前、「進化論はとかく誤解されやすい」という記事で、猿が人間に変化するわけではない、ということを論じたことがある。親子の連鎖をプロットしていくと、種がだんだんと変化しているように見えるが、実は変化する主体というものはどこにも存在しない。猿として生まれた個体は猿として一生を過ごし、人間として生まれた個体はやはり人間としての人生を全うするだけのことである。
「木を見て森を見ず」ということわざがあるが、森ばかり見て木のことを忘れても駄目である。一本々々の木を見る視点も大事である。
再度「雲の移動」の話に戻る。森田さんはああ言ったが、哲学者は疑い深いひねくれものである。確かに水滴は不安定でできたり消えたりしているが、水分そのものとして見れば同じものが風に乗って移動しているわけである。やはり、同じ雲が移動していると言っても良いのではないかと私は思うのだが、あなたはどう思いますか?