こんばんは。
書くつもりはなかったけど…やっぱり自分の人生に於いてとても大切なことなので書き記しておきます。
8月23日に叔父が亡くなりました。
叔父にはボクが生まれてから中学生になるくらいまで本当にたくさん可愛がってもらった。
ボクは子供の頃、かなりの時間を母の実家で過ごしていました。
叔父はまだ独身だったのでまるで息子のように可愛いがってくれた。
夏休みはカブトムシを取りに山へ連れて行ってもらった。
西武球場にも何度も連れて行ってもらった。
ボクは工藤公康、渡辺久信、郭泰源が観たいのに叔父と行くのはだいたい日曜日だったので東尾修の先発が多かった記憶がある。
ちなみにその頃(1981年頃だからボクが9歳くらいの時)の助っ人外国人はテリーとスティーブだった。
叔父はいつも『ビール牛弁当』を食べていたっけな。
とても懐かしい。
まだ東京ドームが出来る前の後楽園球場にも1回連れて行ってもらった。
その時の先発は西本聖だった。
小学生の頃は野球が大好きだったので本当にたくさんキャッチボールをしてもらった。
ボクの人生に於いて1番たくさんキャッチボールをしたのは間違いなくダントツ叔父とだ。
グローブもバットもヘルメットも全部叔父が買ってくれた。
小学2年の頃には剣道の道場に連れて行ってもらった。
それから中学まで剣道を続けた。
小学生の時、道場で『親子剣道』があったんだけど叔父が来てくれた。
コテンパンにやられたけど凄く思い出に残っている。
ルービックキューブが流行った頃、なんとか2面を揃えられて。
嬉しくて叔父が仕事から帰って来るまでお婆ちゃんと夜な夜な待っていたっけな。
高校に入って。
叔父の会社に何度もアルバイトに行かせてもらった。
叔父は仕事に関しては鬼のように厳しかったので何度も怒られた。
でもそれも今では良い思い出。
1995年にボクがルーマニアに旅に行く前に叔父に会いに行った。
叔父は『海外に行ったら現地のものは好き嫌いしないで何でも食べて来い!』と言い魚が嫌いなボクに『くさや』を食べさせた。
臭いは強烈だったけど食べたら意外と美味しかった記憶がある。
そしてボクが20代を音楽活動に没頭出来たのも叔父のアドバイスがあったからだ。
『30歳からでも人生どうにでもなるから20代は好きなことを一生懸命やれ!』とアドバイスしてもらった。
今はそんな時代じゃないけど叔父はいつも背中を押してくれていたと思う。
ここ数年はあまり会う機会がなかったけど…いつかまた一緒に飲みたいと思っていた。
でもそのいつかが来る前に叔父は亡くなってしまった。
寂しい。
本当に寂しい。
美しい思い出をたくさんたくさん残してくれたのに…ボクは何の恩返しも出来なかった。
ごめん。
昨日は叔父の葬儀だった。
ボクは離婚して常々孤独を感じているんだけど。
妹達、そして妹達の旦那(義兄弟)と久し振りに会えて本当に心が落ち着いた。
みんな叔父のことが大好きだったんだな。
やすくん。
今まで本当にありがとう。
昨日、今日と一人になると涙がとまらなくなってずっと泣いてます。
でもあんまり泣いてると怒られそうなのでしっかりしなきゃね…。
写真は叔父に最後に会った日の叔父の地元の写真です。
懐かしい。
ケセラセラ☆
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます