僕の名前は茂。
生まれる前から、男が生まれたら『茂』と祖父が決めていたそうだ。
母は少し不満もあったようだが、40年も前の田舎の事。
お舅さんに文句は言えなかったようだ。
祖父が『茂』に決めた理由は、一番偉い日本人は吉田茂総理だと思っていたかららしい。
そんな吉田茂の話を読んだ。
当時、選挙演説で、候補者たちは真冬でもコートを着ない。
ところが吉田茂は着たまま街頭に立ち、演説をした。
聴衆の中から「外套を脱げ」とヤジが飛んだ。
吉田茂はこれをダジャレで切り返した。曰く、「これがホントの外套演説。」
サンフランシスコ講和条約を締結し、戦争で負けて外交で勝ったと称された
一方、日米安保条約には吉田茂一人が署名した。
後世の批判を予見し責めを一人で負う覚悟だったという。
戦前の難しい時代に外交官を務め、戦後に総理大臣を務め日本の復興の礎を築く。
「最高の政治は外交である。外交は権謀数術ではなく、人類の平和と繁栄を
常に思い目先小手先でなく大局的に物事を捉えてことに当たるべし。」
私の誕生日は昭和42年9月23日
吉田茂の命日は昭和42年10月20日
お帰りなさい。
まだまだ不自由な毎日でしょうが応援してます。
そういう人にお勧めは、池波正太郎の『男振』って小説です。
内容は読んでからのお楽しみ。愉快痛快な話です。
まずはリハビリと社会復帰目指して
頑張ります。