異常気象が、ついに我々の食料を脅かし始めている。
このことについて、書きたい。
1990年代の後半から、異常気象は年々、振幅を広げている。
エルニーニョとラニャーニャも、それぞれ大きく振幅し、2000年はじめごろから、立て続けに自然災害が世界中のあちこちで、散見されるようになった。
無論、CO2ys地球温暖化は、科学者の妄想などではなく、様々な証拠をともなって、現実に起こっていることを、覆い隠すことはできなくなった。
しかし、それでも多くの政治家のなかには、地球温暖化は、単なる妄想でしかないと言い張る人も居る。
北極海の氷が溶けて、白熊の生態が脅かされている。
北極海を直通で運行できる航路ができたり、あるいは、海域の地下資源をめぐって周辺国がにらみ合いをしているのも、温暖化を抜きにして語ることはできないはずだ。
温暖化そのものは、長期・・・それこそ何万年という気の遠くなるような長期では、地球は何度も経験をしてきている。
急に寒冷化するという経験もまた、してきている。
ゆっくりとした温暖化は、むしろ歓迎するべきだという意見もある。
例えばシベリアには、かつて植物がたくさんあった、温暖な地域であった。
マンモスなどの巨大な動物を支えるのに十分な食料があったのだ。
それが、ある日、瞬間冷凍された。
原因は、火山の爆発だったのか隕石だったのか、ともかく巨大ななにかによって、地球が急速冷凍された結果、多くの動物たちは氷に閉じ込められて死んだ。
環境に適応できた人間は生き残り、それが、今の日本人の祖先 モンゴロイドを生んだ。
モンゴロイドは、目と目の間に、袋がありそこで空気を暖めるようになっている。寒い環境で生き残るためには、必要な風貌だったのだが、目が小さくなり、のっぺりとした顔になった。また、狩猟生活は難しくなり、農耕を覚えると、共同生活を余儀なくされ、共同生活がより、自分たちにとって居心地が良いと感じる脳みそへと進化していった。だから、アジア人はおおむね、孤独を嫌い、集団生活になじみやすくできている。
だが、私たちの生きている間における、少なくともこの100年間程度の、地球環境にとって、これらは実に、どうでも良い話に聞こえるかもしれない。なぜならば、今の人間にとって、今日 明日の利益が上げられるかどうかということが、最大の関心事であり、投資や楽して儲かるお金の話、あるいは ゲームか、セックスか、ゴシップか、それともスポーツ以外には興味が無いからだ。
私は、それらのどれもが、一時的で、短絡的あるいは 刹那的な快楽でしかないと、言い切って自分だけ高いところで見下ろすということはできなかった。なぜなら、人間は、そもそも、そういうものだからである。
だが、今、地球規模での歴史の転換期を迎えていることを、もう少し理解してほしい。
私たちの立っているしっかりとしていると、思い込んでいる地盤は、じつは もろく壊れやすいものだということは、3・11で多くの日本人が体感したことだ。
それで、人々がなにか、自分たちの中で、革命的に変化しただろうか?
答えは 否である。
確かに、幾分かの人口比にして、1%にも満たないわずかな人々は、現実を見ようとしている。
現実とは、いつでも大地震は起こりうるということと、放射能がだだっ漏れの原発が、東京から、そう遠くない場所に今もあって、メルトダウンした核が今もどこへ行ってしまったのかさえ、分からないまま放置されており、さらに言えば、4号機という宙ぶらりんのプールの中に、関東以北を全滅させるだけの核が、ぎっしりと1600本ものロッドにつまって、かろうじて水の中に浸かっている。さらにはグズグズに壊れたコンクリートのプールに、いつヒビが入り、水が抜け落ちるか分からないということだ。
それだって、多くの人々にとっては 「何事も無かった」かのように、今日も過ごしている。
こういう現実を、きちんと見つめて、考察することは、とても重要なのだが、それは、多くの大企業や、経済を牛耳る人々、あるいは政治を動かしている人々や、わずかな利権を求めているゴキブリにとっては、とても不都合な事実なのである。
できれば、みんなに素通りしてほしいし、そんなことはない、大丈夫だと、思い込んでいるのか、そう思いたいのかは、分からないが、ともかくほとんど、ヒステリックになって、言い出す人までいる。
甲状腺に異常のある子供が フクシマでは40%も確認されている。
オーストラリアの小児科の医師にこのことを、どう思うか?と尋ねてみたら、「私の知る限り、子供に甲状腺の異常がこれほど多く見られるという経験は、ありません」と答えた。
これは、現実なのだ。
いくら、言葉で否定しようとも、首を振って天を仰ごうとも、現実に起こっていることは、変えられないのだ。
人間の運命だと言い切ってしまうには、本当に、あきらめられない現実が、今 まさに目の前で起こっている。
今日、シドニーの気温は43度を超えた。
熱波は、130もの火災をNSW州のあちこちに起こした。今、これを書いている間にも多くの ファイアー ファイターマンたちが、戦っている。
火災はとどまることを知らず、多くの命や財産を無情にも奪い去っている。
150年間の観測のなかで3番目の暑さなのだという。
だが、地球上のこの反動は、別のところにも現れるだろう。
例えば、中国では洪水が6月に起こるかもしれない。
洪水は、多くの人々の生活を奪うだろう。
あるいは、熱を持って、エネルギーが充満した地面は火山活動を活発化させるかもしれない。
あるいは、それが引き金となって地震が起こるかもしれない。
台風や、ハリケーン もしかしたら、それはあなたの住む地域を直撃するかもしれないのである。
ノアの箱舟の逸話は、実に、よくできている。
私は、人間の記憶のなかには、かつて大きな洪水がきたことを、示すさまざまな証拠とともに、その恐ろしさについても断片的に残っていると考えている。
GSMを立ち上げたとき、私はその自分の中に残る、わずかな記憶の糸をたどりよせることで、なるべく多くの人々とともに、どうやって、これからの時代を乗り越えていくかを考えようとした。
私の恐怖していたものは、天変地異であり、おそらく科学文明の行き着くところの危うさである。
ただ、矛盾していたのは投資というお金儲けの手段で、乗り越えようと考えていたことだ。
多くの人々は、私の投資の話には挽きつけられていた。現実に、3・11のようなことが起こるとは、平時には到底考えられなかったからだろう。それは、責められるべきことではない。
誰だって、平穏なときに、非常事態を想像して備えることなど、できないからだ。
今でも、多くの人々の関心事は、それでも、金儲けであったり、あるいはスポーツや芸能 ゴシップなどであるのかもしれない。
でも、私は、警告を続けようと思う。
今の事態は、ほんのプロローグに過ぎない。
これから、ますます 世界は震撼する。
それは、異常気象という十分な警笛のあとに、ドーンと来るであろう。
老人たちはすでに十分に生きたと、残りのとっておきのワインを飲むことで、最後の日と迎えようとしている。
私は、自分の家族や子供をどうやって、生き残らせるのかに一身をかけて、準備を始めているところだ。
このことについて、書きたい。
1990年代の後半から、異常気象は年々、振幅を広げている。
エルニーニョとラニャーニャも、それぞれ大きく振幅し、2000年はじめごろから、立て続けに自然災害が世界中のあちこちで、散見されるようになった。
無論、CO2ys地球温暖化は、科学者の妄想などではなく、様々な証拠をともなって、現実に起こっていることを、覆い隠すことはできなくなった。
しかし、それでも多くの政治家のなかには、地球温暖化は、単なる妄想でしかないと言い張る人も居る。
北極海の氷が溶けて、白熊の生態が脅かされている。
北極海を直通で運行できる航路ができたり、あるいは、海域の地下資源をめぐって周辺国がにらみ合いをしているのも、温暖化を抜きにして語ることはできないはずだ。
温暖化そのものは、長期・・・それこそ何万年という気の遠くなるような長期では、地球は何度も経験をしてきている。
急に寒冷化するという経験もまた、してきている。
ゆっくりとした温暖化は、むしろ歓迎するべきだという意見もある。
例えばシベリアには、かつて植物がたくさんあった、温暖な地域であった。
マンモスなどの巨大な動物を支えるのに十分な食料があったのだ。
それが、ある日、瞬間冷凍された。
原因は、火山の爆発だったのか隕石だったのか、ともかく巨大ななにかによって、地球が急速冷凍された結果、多くの動物たちは氷に閉じ込められて死んだ。
環境に適応できた人間は生き残り、それが、今の日本人の祖先 モンゴロイドを生んだ。
モンゴロイドは、目と目の間に、袋がありそこで空気を暖めるようになっている。寒い環境で生き残るためには、必要な風貌だったのだが、目が小さくなり、のっぺりとした顔になった。また、狩猟生活は難しくなり、農耕を覚えると、共同生活を余儀なくされ、共同生活がより、自分たちにとって居心地が良いと感じる脳みそへと進化していった。だから、アジア人はおおむね、孤独を嫌い、集団生活になじみやすくできている。
だが、私たちの生きている間における、少なくともこの100年間程度の、地球環境にとって、これらは実に、どうでも良い話に聞こえるかもしれない。なぜならば、今の人間にとって、今日 明日の利益が上げられるかどうかということが、最大の関心事であり、投資や楽して儲かるお金の話、あるいは ゲームか、セックスか、ゴシップか、それともスポーツ以外には興味が無いからだ。
私は、それらのどれもが、一時的で、短絡的あるいは 刹那的な快楽でしかないと、言い切って自分だけ高いところで見下ろすということはできなかった。なぜなら、人間は、そもそも、そういうものだからである。
だが、今、地球規模での歴史の転換期を迎えていることを、もう少し理解してほしい。
私たちの立っているしっかりとしていると、思い込んでいる地盤は、じつは もろく壊れやすいものだということは、3・11で多くの日本人が体感したことだ。
それで、人々がなにか、自分たちの中で、革命的に変化しただろうか?
答えは 否である。
確かに、幾分かの人口比にして、1%にも満たないわずかな人々は、現実を見ようとしている。
現実とは、いつでも大地震は起こりうるということと、放射能がだだっ漏れの原発が、東京から、そう遠くない場所に今もあって、メルトダウンした核が今もどこへ行ってしまったのかさえ、分からないまま放置されており、さらに言えば、4号機という宙ぶらりんのプールの中に、関東以北を全滅させるだけの核が、ぎっしりと1600本ものロッドにつまって、かろうじて水の中に浸かっている。さらにはグズグズに壊れたコンクリートのプールに、いつヒビが入り、水が抜け落ちるか分からないということだ。
それだって、多くの人々にとっては 「何事も無かった」かのように、今日も過ごしている。
こういう現実を、きちんと見つめて、考察することは、とても重要なのだが、それは、多くの大企業や、経済を牛耳る人々、あるいは政治を動かしている人々や、わずかな利権を求めているゴキブリにとっては、とても不都合な事実なのである。
できれば、みんなに素通りしてほしいし、そんなことはない、大丈夫だと、思い込んでいるのか、そう思いたいのかは、分からないが、ともかくほとんど、ヒステリックになって、言い出す人までいる。
甲状腺に異常のある子供が フクシマでは40%も確認されている。
オーストラリアの小児科の医師にこのことを、どう思うか?と尋ねてみたら、「私の知る限り、子供に甲状腺の異常がこれほど多く見られるという経験は、ありません」と答えた。
これは、現実なのだ。
いくら、言葉で否定しようとも、首を振って天を仰ごうとも、現実に起こっていることは、変えられないのだ。
人間の運命だと言い切ってしまうには、本当に、あきらめられない現実が、今 まさに目の前で起こっている。
今日、シドニーの気温は43度を超えた。
熱波は、130もの火災をNSW州のあちこちに起こした。今、これを書いている間にも多くの ファイアー ファイターマンたちが、戦っている。
火災はとどまることを知らず、多くの命や財産を無情にも奪い去っている。
150年間の観測のなかで3番目の暑さなのだという。
だが、地球上のこの反動は、別のところにも現れるだろう。
例えば、中国では洪水が6月に起こるかもしれない。
洪水は、多くの人々の生活を奪うだろう。
あるいは、熱を持って、エネルギーが充満した地面は火山活動を活発化させるかもしれない。
あるいは、それが引き金となって地震が起こるかもしれない。
台風や、ハリケーン もしかしたら、それはあなたの住む地域を直撃するかもしれないのである。
ノアの箱舟の逸話は、実に、よくできている。
私は、人間の記憶のなかには、かつて大きな洪水がきたことを、示すさまざまな証拠とともに、その恐ろしさについても断片的に残っていると考えている。
GSMを立ち上げたとき、私はその自分の中に残る、わずかな記憶の糸をたどりよせることで、なるべく多くの人々とともに、どうやって、これからの時代を乗り越えていくかを考えようとした。
私の恐怖していたものは、天変地異であり、おそらく科学文明の行き着くところの危うさである。
ただ、矛盾していたのは投資というお金儲けの手段で、乗り越えようと考えていたことだ。
多くの人々は、私の投資の話には挽きつけられていた。現実に、3・11のようなことが起こるとは、平時には到底考えられなかったからだろう。それは、責められるべきことではない。
誰だって、平穏なときに、非常事態を想像して備えることなど、できないからだ。
今でも、多くの人々の関心事は、それでも、金儲けであったり、あるいはスポーツや芸能 ゴシップなどであるのかもしれない。
でも、私は、警告を続けようと思う。
今の事態は、ほんのプロローグに過ぎない。
これから、ますます 世界は震撼する。
それは、異常気象という十分な警笛のあとに、ドーンと来るであろう。
老人たちはすでに十分に生きたと、残りのとっておきのワインを飲むことで、最後の日と迎えようとしている。
私は、自分の家族や子供をどうやって、生き残らせるのかに一身をかけて、準備を始めているところだ。